煌きのアドリア海、宮殿が街になったスプリット
スプリットは、海に面した街です。背後に山が迫る街で、背後から敵に侵入されにくいらしいです。というと、なんとなく源頼朝のひらいた鎌倉幕府が鎌倉を選んだ理由のようにも聞かれますが…。
スプリットはそもそも、ローマ皇帝を退位して余生にのんびり?過ごそうと思って建てられた別荘が街の始まりです。
宮殿は岸辺に作られ、船から皇帝に届けられた数々の物資が、そのまま宮殿に運び込まれていた模様です。
「模様です」というのはですね、宮殿の全てが残っているわけではないからです。
ディオクレティアヌス帝という方は、キリスト教を弾圧した方ではありますが、混乱期のローマ帝国(A.D.3世紀)で国はがたがたでした。広大すぎる領土を何とか治めるため、皇帝を正帝と副帝二人ずつの制度をつくり、ローマ帝国の寿命を伸ばしたといわれています。
彼が有能な皇帝であったことは間違いなく、その証拠がこのスプリットなのです。
彼が生きた時代のローマ帝国はいわゆる「パックスロマーナ(ローマの平和)」が終わり、軍人皇帝時代と称された頃です。
軍人なんて聞きますと強い皇帝のイメージがありますが、これは兵士に支持されて帝位についた皇帝ということです。あっちの軍団で祭り上げられた皇帝やらこっちの皇帝に祭り上げられた皇帝やらで、大げさに言いますとローマ帝国は皇帝だらけ。
50年間に26人の皇帝がいました。
ひょっとしたらもっといたかもしれません。在位平均2年。ほぼ全員暗殺されているそうです。
ローマは「パンとサーカス」で有名なように、民衆の支持を得られてこそ「帝位」を保てるのでした。軍人皇帝時代は、簡単に言ってしまいますと、それがものすごく顕著に進んでしまった事態だったといえなくもありません。
こんなローマの状態をだれもが「当たり前」と受け入れていた頃、この悪循環を破壊したのがディオクレティアヌス帝でした。当時30代後半の男盛り?でした。
皇帝の地位を高め、議員が皇帝の前で寛ぐことを認めず、皇帝の下に国を一つにまとめようと試みたのです。
残念なことに、そのために皇帝を礼賛しないキリスト教徒を認めなかったのですね。
ローマを一時的だったにせよ立て直したディオクレティアヌスは、突然退位し、自分の生まれ故郷の近くの田舎に別荘を作ったのです。それがこのスプリットでした。
彼の死後、数世紀たち、近郊の町が敵に侵略されたということで町の人がスプリットへ逃げ込み、宮殿跡にそのまま街を作ってしまいました。
立派な宮殿でしたので資源再利用ですね。
中世には教会が立てられ、時にはバルカン半島の東からイスラム教徒がやってきて、時には近隣の王国の支配下に入り、時にはヴェネチアの支配下に入り、等々時代と共に支配者が変わり、そのたびに流行が変わり、様々な建築スタイルが受け入れられたのです。
いまスプリットの街を歩いていると、ディオクレティアヌス帝が姿を現したであろうテラスにはカフェが並び、よく見ると大聖堂と呼ぶには小さなカテドラルがあります。
中世には宮殿の壁が城壁になったのがよくわかります。
様々な建築様式も楽しいですが、A.D.3世紀から現代までのときが全て凝縮しているこの中を歩くこと、そしてお買い物をすることがとても楽しいのです。
でも疲れたら、そこいらのカフェで一杯というのもいいですが、春から初夏に行くなら、ジェラートがお勧めです。
私のお気に入りはピスタチオとレモンです。
もちろんダブルも大丈夫です。
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