インダス文明~海へ向かったロータルの民~
インドはクルーズの寄港地としては少々なじみが薄い場所です。
理由はいろいろあります。
国が大きい。
インドまで行くなら、そこを越えてアフリカまで向かうことが多く日数が長いコースが多いため、乗船しにくい。
それで、なんとなくクルーズ寄港地としてのインドは、ムンバイなどの一部の町を除いて、イメージにないような気がいたします。
しかし、インドはやはり大きくて深い国でした。
いずれ、リバークルーズのお話などもさせて頂きたいのですが、今回は遥か古代、アラビア海を渡ったインド人の先祖の方々のお話です。
そう、インダス文明です。
インダス文明は、世界4大文明といわれる超有名な古代文明の一つです。
恥ずかしながら私は、このあたりの古代史は少々疎く、今回、改めて本をひっくり返して付け焼刃な勉強をしたのですが、その深さを広大さに、頭がおぼれてしまいそうでした。
インダス文明とは、現代のパキスタンからインドのの西北部にかけて、インダス河といまはかれてしまったサラスヴァーティーという河の間の肥沃な土地に広がった一大文化圏だったようです。
ざっとその大きさを見ますと日本の国土よりも遥かに広い文化圏だったことがわかります。
いま、西インドで発掘されている遺跡は二つ。
今日はその一つ、ロータル遺跡の紹介です。
いまは、海まで80㎞ある内陸の遺跡ですが、古代は7km程しか離れておらず、町の直ぐそばを川が流れ、それを引き込んだ船着場を造っていたと考えられています。
小さな遺跡ですが、しっかりとした大きな井戸があり、その直ぐ奥には倉庫跡、さらに奥にはアクロポリス、恐らく支配者層の邸宅跡が残ります。
歴史にしてざっと3500年前の遺構です。
乾燥した日干し煉瓦の文化は素晴らしい。そんな昔の遺構がいまもしっかり残っているのだから。
よくよく見ると、細い管のような跡が。
そう、配水管です。
お手洗いやキッチンが一列並びに設けられていたようです。
そしてその後ろを配水管が通っていたのです。
もしや水洗トイレだったのでしょうか?
さらに歩を進めると、大きなバスタブのような、多分小さな浴場とアクロポリス専用の井戸が。
インダス文明は水の管理がしっかりしていた文明だったようです。
工房跡を過ぎて市場の跡に。
7km先のアラビア海から河をつたい、異国からは様々なものが入ってきたでしょう。
そして恐らく、ロータル遺跡で発見された、髪の毛の先ほどの紐通し穴の開いたビーズや紅玉のアクセサリーがアラビア海から遥かオマーンやバーレーンに輸出されたことでしょう。
なぜなら、それらの装飾品やインダス文明特有の印章とよばれる判子がアラビア半島で沢山発見されているからです。
アラビア海の荒波の中を勇敢に向かい、メソポタミア文明の民と交流を行っていたロータルやそのほかのインダス文明の民。
インドの人は今も海外に羽ばたく人が多いです(クルーズスタッフにも)
遥か古代から、彼らは世界を飛び回り最新の情報を手に入れて、より発展していったのでしょうか。
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