【共通テーマデー】わたしの中のヒロイン~ジョセフィーヌ・ドゥ・ボアルネ~
共通テーマデイです。
テーマはわたし中のヒロイン。
さて、皆様はヒロインと聞くと、どんなイメージがありますか?いまですと「なでしこジャパン」でしょうか。それとも浅井三姉妹でしょうか。
私も色々考えましたが、現代(20世紀以降)の場合はちょっと省くことにしました。20世紀、それは女性が社会進出していく過程の時代でもあり、とてもたくさんの尊敬すべき女性がおり、選ぶのが難しいからです。しかしながら歴史上でヒロインと呼べる人物を探すのはなかなか困難です。
古代~中世、近世辺りまでは特にいえると思いますが、紙に残された歴史の中で「女性」の存在というのはあまり強くなく、有名な女性を挙げていけば「悪女」と呼ばれる人がなんと多いことか。
しかしながら「悪女」と呼ばれる人も、その人生を覗いてみると、歴史上の「ヒロイン」と呼べる方も多いものです。
というわけで、今回はフランス皇后に登りつめたナポレオン1世の一番目の妻「ジョゼフィーヌ」を取り上げたいと思います。ジョゼフィーヌはカリブ海のフランス領マルティニック島のはっきり言えば貧乏貴族の娘で、教養もさしてありませんでした。
彼女が2ヶ月もかかって大西洋を渡り、フランス本国へ行けたのは、「結婚」のためでした。
お相手はアレクサンドル・ドゥ・ボアルネ。子爵家の息子でした。
叔母がボアルネ子爵の愛人だった縁だといわれています。
夫婦中はよくありませんでしたが、カトリックでの離婚は認められていない時代、別居をすることになりまして、マルティニック島へ帰島します。
だって考えても見てください!15-6歳の島育ちの田舎娘と、流行最先端のパリで洗練された会話と粋なおしゃれで生きてきた20歳前後の青年…。合うわけないです…。
ちなみに、ここで、生活の保障される子爵婦人の称号と年金に満足していたとしたら…、彼女の人生はそこまででした。
ところが、なんと革命が起き、フランスは一変します。そんな最中、彼女は島での暴動をきっかけに、フランスへ戻るわけです。
子爵婦人の称号の危険性など、当時の人は全く分かっておりませんでしたのでまぁ仕方ないでしょう。
一方、別居した夫アレクサンドルは、最初こそ革命の波にうまく乗っていましたが、かの有名なロベスピエールが権力を握ると投獄されてしまいます。
このとき、別居していたこの夫を助けるべく、助命嘆願を行い、ジョゼフィーヌは自分も逮捕されます。この辺り、情に深い、やさしい部分もあったのかもしれません。
残念ながらアレクサンドルは救えませんでしたが、ロベスピエールの失脚により彼女は助かりました。
そして、ここから、彼女の人生は大きく変わっていくのです。
この投獄事件で、彼女は当時の社交界の華、テレジア・カバリュスというスペインからフランス貴族へ嫁いだ後、離婚した女性と知り合いになり、そこからバラス将軍の愛人になり、さらに、ナポレオンに出会います。
テレジアという人は美しい港町ボルドーで恐怖政治でギロチンの露と消えていく人々を少しでも減らそうとして、助命嘆願を行った女性ですが、一方で波乱万丈な恋愛人生を生きた人です。ボルドーの街で革命委員だったタリアンと出会い、やがて投獄され、その後色々あり、タリアン一派が次の政局を担ったときには「テルミドールの聖母」とよばれた女性でした。
彼女の美しさに、ナポレオンは一目ぼれしたそうですが、野暮でチビの(というのが当時の彼への一般的な評価でした)彼は、社交界の華からは相手にされませんでした。
しかし、テレジアの友人であるジョゼフィーヌとは何かしら気があったのか、彼女にプロポーズするんですね。ちなみに、ジョゼフィーヌは当時32歳くらい。
ナポレオンは26歳…。失礼ながら未亡人二人の子持ち女性を選ばなくても。。。というくらい、彼はこの時、対ヨーロッパ戦線で功績を挙げていて、お金持ちになっていました。
ジョゼフィーヌは当時、虫歯のため歯が抜けてしまっていたとか。つまり、肖像画はとても美化して描いていると思うのですが、すごい美女ではなかったようです。
けれども、彼女は虫歯で抜けた歯を隠すため、表情の練習をしていたそうですので、きっとアンニュイな感じが、無骨な田舎青年をドキッとさせたのでしょう…。
ジョゼフィーヌはナポレオンのお金目当てだったといいます。
でも、フランスの本心を言わない、小粋な会話で笑いばかりのサロンは、実直だったというナポレオンにとって、コルシカ島の田舎(当時の感覚ですが)者と陰で小ばかにされていたことは、苦痛だったのかもしれません。
そんなときに、自分と同じように、いや下手すると自分より田舎出身のジョゼフィーヌのエキゾチックな風貌やサロンで見せる完璧な立ち居振る舞いの中に時折見せる隙に、ホッとさせる何かがあったのでしょうか。
ともあれ、二人は結婚します。ナポレオンが戦争で勝つたびに、彼女の人気は高くなり、一気に社交界の華になります。そしてせっせと?浮気もします。
ナポレオンはそれを知り、離婚をしようとまでしたのに、結局ジョゼフィーヌにうまく立ち回られて、離婚もせず、とうとう憧れの皇帝になるわけです。そして、ジョゼフィーヌは皇后になりました。
恐るべし、ジョゼフィーヌ。
生活に困るほどのカリブの島の貧乏貴族の娘からフランス皇后になったわけです。
皇后として、彼女はフォンテーヌ・ブローの宮殿で、マリー・アントワネットの部屋をそのまま使っていたといういいます。そして、このときから彼女は「ローズ」ではなく「ジョゼフィーヌ」とナポレオンから名前を与えられたわけです。
やがて、ナポレオンが彼女との離婚を決意したのは、彼女が40半ばも過ぎたとき。
理由はハプスブルクの皇女との縁組で世継ぎがほしかったからです。ちなみにナポレオンは愛人二人との間に男の子がいましたが、認知はしていません。
離婚したにもかかわらず、ジョゼフィーヌはなんと「皇后」の称号をもったまま、マルメゾン宮殿を住居にもらい、多額の年金と、宮廷を開く権利を貰い、さらにはナポレオンのよき友人として余生を過ごしたのです。おぉ、ジョゼフィーヌ、一体どれだけナポレオンの心を掴んでいたのか。
その手管、ぜひとも聞いてみたい、いや見てみたい…。
離婚後も、友人に会いに行くという理由でせっせとマルメゾンヘ通うナポレオン。彼に、ジョゼフィーヌの魅力をぜひとも聞きたいものです。
ジョゼフィーヌは浪費家で、すごい美女でもなく、賢さはそれほどなかったといわれています。
しかし、昨日までの権力者が今日はギロチンへ、というフランス革命期に、二人の子供を抱えながらどうやって生きていくか必死で考え、女性がひとり立ちが難しい時代に、自分と子供を養ってくれる相手を見極め、さらには自分の人生を楽しもうとしていた女性です。
時代にあったパトロンを持っていた事を考えると、自分の魅力をきちんと把握し、そして、それを上手に活用できる女性だったのでしょう。
ちなみにかなり豪胆な女性だったと思うのです。
大体、養ってくれそう、ということで結婚した男性が、戦場から多額の生活費を送ってくれたのをいいことに、散々浪費して浮気する辺り、豪胆でなくてなんなのでしょう。
(ナポレオンは毎日戦場からラブレターを送っていたのに、知らん振りしてたのですから、いっそ潔いものです)
そして、かなり年上であったにもかかわらず、ナポレオンの心をがっちり掴んだことから推測しますと、ナポレオンにとっては、一緒にいると心が安らげ、気取らなくていい同じような目線で物事がみれる、憎めない、チャーミングな性格だったのだと思います。
フランスという国が、大きな革命の流れで価値観が昨日と明日では180度変わってしまうという時期に、これほど、自由に、豪胆に、そして魅力的に人生を駆け抜けたジョゼフィーヌ。
フランスという国が生んだヒロインの一人だと思うのです。
【共通テーマデー「わたしの中のヒロイン」】
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〔倶楽部ユーラシア編〕~イザベラ・デステ~
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