皇妃エリザベートの旅への想い
中欧のツアーでウィーンを訪れたとき、昼食の後は自由時間でした。折角ですので美術史美術館へ御案内しようと思いましたが、月曜日で休館でしたので、ホーフブルク(王宮)のシシィミュージアムへご案内することにしました。
日本では大変人気のあるハプスブルク家の「皇妃エリザベート」ですが、実は存命中はさほど重要な人物でもありませんでした。
もともと、血筋は良いけれども、さほどお金持ちではなかったこと、自由奔放な性格であったことが、彼女の最大の魅力だったのですが、規則と伝統にがんじがらめの環境であった帝室の皇妃という立場は、彼女にとってとてもつらいものになったといわれています。
叔母にあたる皇帝の母ゾフィー妃との確執で体調を崩したとき、大西洋に浮かぶマデイラ島へ療養へ行きます。
すっかり元気になってウィーンへ戻るわけですが、ウィーンへ戻ると再び体調不良。。。
療養に出れば元気になる…。
やがて彼女はウィーンから離れるようになります。
さすらいの旅の始まりでした。
そんなシシィが気に入った場所、それがハンガリーでした。ウィーンからさほど離れておらず、にもかかわらず、どことなくオリエンタルな雰囲気が薫るようなハンガリー。
シシィはこの地をいたく気に入り、女官をハンガリー出身の女性に切り替えたり、政治に口を全くと言っていいほど口を挿まなかったにもかかわらず、ハンガリー独立に関してだけは皇帝に口添えをしたといわれます。
彼女は亡くなるまで旅をつづけました。4人の子供のうち(一人は幼いうちに亡くなりました)末子のマリア・ヴァレリーのみ手元で育てることができたシシィは、娘と二人、お召列車に乗ってお気に入りの地へ訪れたり、初めて訪れる国を楽しんだりしました。
ウィーンでの滞在期間はどんどん短くなり、自身の容貌の衰えを必死で隠し続けました。
後年の彼女は、扇子で顔をほとんど隠していて、来客に挨拶をするときの短い瞬間しか顔を見せなかったともいわれています。
シシィにとって旅は心の安らぎだったのでしょうか。
単にウィーンにいたくない、というそれだけだったのでしょうか。
彼女の心はだれにも分からないでしょう。
けれども、シシィが訪れた後のホテルは設備が整い、彼女のための鉄道が、人々の移動手段に少なからず貢献し多といえなくもありません。
常に新しいところ、変わったところへ興味を好奇心を持っていた彼女は、今の世界に生まれていたら、外交特使として、意外な才能を発揮していたかもしれないですね。
シシィがヨーロッパ中を旅する間も夫であるフランツ・ヨーゼフ1世は、巨大な帝国の皇帝、支配者として毎日まじめに政務を行ってきました。そんな皇帝の執務室には髪をおろした美しいシシィの肖像画が飾られていました。
忙しい公務の合間に、自由に羽ばたいている(ように見える)シシィと旅をしている気分を味わいたかったのかもしれないですね。
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