2007年6月30日 (土)

スロヴェニア・クロアチア添乗徒然12

Zadae ツアーの後半に、アドリア海の沿岸に戻る。プリトヴィッツェはクロアチア中部の高原地帯(海抜500~600m)に位置しているので、比較的涼しいのだが、海岸線に出れば気温が上がる事が予想された。という訳で、お客様方には「明日からは暑くなるでしょう」なんて前日うそぶいていた私だが、高原から下って海岸線に出てみるととんでもない、雨もちらつく曇天模様、冷たい海からの風が頬を切る肌寒い気候に見舞われた。もちろん寒いのは気温に加えて、 お客様の視線である・・・。

こういう時は、お客様と目を合わせるのも辛いもの(特に意気揚々と半袖の方に)だが、何が起こるか分からない海外旅行、一つ失敗をしても、引きずらない事が大切である。心の中では天候を恨みながらも、マイクの上では、暑くて歩くのも辛くなりかけたツアー前半のリュブリャナやザグレブの観光を引き合いに出し、「今日は観光しやすいですね。」と本当は心苦しいポジティブな表現で観光に臨む。しかし、その気持ちが天に通じたのか、第一の観光地であるザダルに到着する頃には、なんと太陽が出てきた。バスを降りると、ポカポカとした陽気に心地よい海からの風が優しく頬を包む。神様、ありがとう。

ザダルは紀元前に遡る古い歴史を持つ町だが、特筆すべきは第4回十字軍との関わりであろう。第4回十字軍は聖地を目指すためにヴェネツィアに終結していたが、主に資金難のため、出発できずにいた。そこに目を付けたのが、抜け目のないヴェネツィアの商人達。かねてよりアドリア海東岸の港湾都市を狙っていたヴェネツィアは、ザダル(当時の名はザラ)攻略を条件に資金や船の提供をもちかけ、イスラム教徒と対決するために集った騎士達は、キリスト教徒の町であったザダルを攻略してしまう。十字軍神話崩壊の序章である。

これで味をしめたヴェネツィアは、この十字軍を利用して、利害が衝突し始めていたビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルにも軍を向け、陥落させてしまう。十字軍の騎士達はビザンチン帝国の領土を分割して、一時的なラテン帝国を打ち立てるが、結局ビザンチンの残党に再度帝都を攻略され、悪名だけを残して、歴史から姿を消した。この一連の事件で利益をせしめたのは、ヴェネツィアだけであった。ライバルのジェノヴァの機先を制して、東地中海における優位を決定的にした。元々イスラム教徒との貿易が富をもたらす当時の状況の中で、ヴェネツィアは十字軍に協力する気も元々あまりなかったのではと推測されている。 今日のザダルは、そんなおどろおどろしい歴史もあったのかと思うぐらい開放的な港町だ。町の観光の目玉はこじんまりとした旧市街。その中心部には、ローマ時代から町の中心であったフォロの跡があり、その広場に面して聖ドナ教会だ。9世紀に建てられた教会だが、円形の特異な建築である。クロアチアにおけるビザンチン建築の最高傑作とされ、カトリック世界の建築にも影響を与えたと言われている。9世紀のヨーロッパ建築と言えば、まだロマネスク以前(=プレロマネスク)の時代、なかなか見事。全くの個人的な印象だが、その調和の取れた円形がそれから500年以上後のルネサンス期に描かれた「理想都市」の中心の建物を思い出させられた。

何はともあれ、好天の内に観光も無事終了。添乗員にとって最も大切な事は開き直りと信仰心、今日はそれを実感した・・・。

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