2007年11月17日 (土)

聖杯

Chalice_valencia昨日は、契約の箱(アーク)について触れたので、アークと並ぶ伝説の聖遺物聖杯についても改めて触れたい。この聖杯もアークと同じくインディ・ジョーンズのシリーズで登場する。ちなみにこの映画で登場する聖杯が収められている神殿は、今人気のヨルダンのぺトラ遺跡の物だ。

一世を風靡した「ダ・ヴィンチ・コード」では、聖杯は「キリストとマグダラのマリアの聖なる血」であるとしたが、もちろん真実は定かではない。

しかし古来より有力なのは、聖杯とは杯(さかずき)であるという説。そしてヨーロッパの北部の英仏独では聖杯がアーサー王と円卓の騎士達と結びついて語られることが多い。アーサー王は2004年に映画化されているが、そこには聖杯のせの字も出て来ない。専ら伝説の部分よりも史実に近いであろう脚本になっているので、現実派の方にはお勧めしたい。フランスのレンヌ・ル・シャトー、イギリスのロズリン・チャペル或いはドイツのどこかにあるガラハッドが辿り着く聖杯城?など諸説あるが、真偽の程はともかく、今現在実際にそれという物が実際に見られる(が故に本物である可能性は薄いのだが)場所を以前の記事を編集したものから紹介したい。

〔1〕ジェノヴァ(イタリア)の大聖堂にあるという説
中世にカエサリア(パレスチナの古代都市。今日のハイファの南に位置していた)のモスクでジェノヴァの商人達が巨額の金を積んで手に入れたエメラルド製の器。しかし、その後ナポレオンがイタリアを占拠した時にこれをパリへ持ち帰り、壊してしまって(!)ジェノヴァに送り返したそう。壊れた際に実はエメラルド製でなく、ガラス製と判明!しかし今でも大事に「聖杯」として飾られている。今日のお土産物屋でも起きそうなことだ・・。キリスト教の聖具には眉唾のものも多い気がする、大切なのは信じる事なので、とやかくは言わずに置く。
是非ジェノヴァに行ったら、ご覧になってみて欲しい。

〔2〕バレンシアの大聖堂にあるという説
ペトロがローマに運び、後代の法皇シクトゥス二世が256年に聖ラウレンチオ(ローレンス)に手渡したという記述が発見されているという。手渡した理由は、ヴァレリアヌス帝の元でキリスト教の迫害が日に日に強まり、シクトゥス二世の命ももう長くないと見られていた為だそうだ。自分の命は失っても、聖杯を守るために聖ラウレンチオにそれを託し、ラウレンチオはそれを故郷のスペインに送ったそうだ。ちなみにシクトゥス二世は実際にその年殉教し、ラウレンチオもその後を追って火炙りの刑で殉教した。その火炙りとの相関性の真実は分からないが、聖ラウレンチオは料理の守護聖人である。

さて、しばらく姿を消していた聖杯だが、その間のどこかの時期にスペインのピレネーに近い山中に位置するサン・ファン・デラ・ペーニャ修道院に運び込まれたという。残念ながら聖杯の痕跡を認める事はできないが、この修道院は今日でも訪れる事ができる。何か秘密が眠ってそうな神秘的な洞窟の中にある修道院だ。

公式に残っている最も古い記録では、14世紀末にこのサン・ファン・デラ・ペーニャ修道院からバレンシアに聖杯が寄贈されたとある。そして、それは今日までバレンシアの大聖堂の聖杯礼拝堂という建物に飾られている。もちろん観光客でも見る事が出来る。実物を見てみると、キリストが使っていたにしては立派な気もするが、宝石も入った台座は後世に付け加えられたものだそうなので、杯そのものを見れば、キリストが使っていたと言われても違和感はない。故ヨハネ・パウロ二世がバレンシアでミサを行った際にも使っていたと言われると、にわかに信じる気持ちにもなってくる。ちなみに「カトリック・オンライン」というサイトでもバレンシアにある聖杯の真偽についての問答(英語ですが)が掲載されていて、このバレンシア説を強く主張している。

間もなく火祭りも開催されるバレンシアだが、歴史の秘密を解く鍵が眠っているかもしれない。パエリア(本場はバレンシア)でも食べながら、ゆっくり紐解いてみるのも良いだろう・・・。

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