2008年2月 8日 (金)

まだカラヴァッジョ

Malta2月4日「カラヴァッジョの道
2月5日「カラヴァッジョの道の続き」のさらに続き、

ローマ、ナポリで追われる日々を過ごしたカラヴァッジョは、1606年、イタリア半島の南に位置するマルタ島に渡った。傑作を複数描きながらも、その素行ゆえに社会的に認められていなかったカラヴァッジョは、確たる肩書きを求めてこの島に渡ったとされている。すなわち、当時この島を領有していたヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の騎士の称号だ。

その騎士団員の称号を、カラヴァッジョは思いの外あっけなく手中に収めた。

Caravaggio_st_john 当時の騎士団長であったヴィニャクールの肖像画の依頼を勝ち取ったカラヴァッジョは、この作品を見事な腕で仕上げ、その出来栄えに満足したヴィニャクールは、カラヴァッジョが欲していた騎士団員の称号をあっさり与えた。ローマの殺人も遠い昔になりつつあったカラヴァッジョは、この島で胸を張って生きる道を見つけたのだ。その後、騎士団の守護聖人でもある洗礼者ヨハネに捧げる絵の依頼も舞い込んだ。場所は首都ヴァレッタの象徴のひとつ、聖ヨハネ大聖堂だ。カラヴァッジョは、意気揚々とこの作品に取り掛かったと言われている。そうして仕上がった「聖ヨハネの斬首」の出来栄えは素晴らしく、今日彼の代表作のひとつに数えられる。

しかし、束の間の平和も長続きはしなかった。この地にやってきてもカラヴァッジョの狂気は眠る事はしなかったようだ。間もなくして、喧嘩の末の殺人未遂で騎士団員の称号を失い、牢獄に繋がれてしまった。そして、皮肉にも「聖ヨハネの斬首」の前で斬首刑を言い渡されたと言われている。カラヴァッジョは脱獄してシチリアに逃げたので、この刑が執行される事はなかったが、その後は各地にパイプを持っていたヨハネ騎士団の刺客に追われていた(或いは本人がその影に常に脅えていた)そうだ。シチリアも去ったカラヴァッジョは、ローマを目指す途中、疫病にかかって38年の激動の生涯の幕を閉じた。

その決してよかったとは言えない素行やその後のバロックの廃りもあって、一時期忘れ去られていたカラヴァッジョだが、近代に入って再評価され、物議を醸しながらもイタリアのリラ札にも登場し、大美術館にある彼の作品の前は常に人だかりがあるぐらいだ。2001年の来日(目黒で開かれたカラヴァッジョ展)でも、長蛇の列が出来、現在流行している海外美術品の来日展ブームのさきがけとなった。昨秋に刊行された「カラヴァッジョへの旅」や先月発売されて話題を呼んでいるらしい「消えたカラヴァッジョ」、日経新聞の「美の美」など、ここ最近だけでもちょっとした話題を呼んでいる。

そして、今や日本の中規模な旅行社でも、趣味に近いという批判を乗り越えつつ、巨匠の名前を冠したツアーを企画するに至った。健闘を祈りたい・・・。

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