2008年2月23日 (土)

旧ユーゴスラビアの続き

Mostar 昨日の続きから・・・

負の遺産を「残す」事で世界遺産に登録された広島と対照的に、負の遺産を「直す」事で
世界遺産に登録されたのは、オシム氏の母国でもあるボスニア・ヘルツェコビナ南部の古都モスタルの橋だ。

1992年、ボスニア・ヘルツェコビナは、スロヴェニア・クロアチアに続いて、旧ユーゴからの
独立を宣言した。しかし、スロヴェニア人が多数を占めるスロヴェニアとクロアチア人が多数を占めるクロアチアと違って、ボスニア・ヘルツェコビナは、ボシュニャク人(イスラム教徒のスラヴ人)、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ一定の割合を占める他民族国家であった。

よってその独立の構図もより複雑であり、前述の三民族がそれぞれの思惑を巡って争う
三つ巴の様相を呈し、その後内戦は3年間続く。当時日本でも「ボスニア・ヘルツェコビナ」問題として、新聞を賑わしていた。この3年間の間の内戦で首都サラエボを始め、多くの都市が戦禍の犠牲になった。国内の第二の都市であり、三つの民族が共存していたモスタルに至っては、町の中を流れるネレトヴァ川を挟んでクロアチア人とボシュニャク人が向かい合う構図になり、両岸を結ぶ橋も破壊された。

Stari_most_2 国連の介入を経て、内戦勃発3年後に各民族間の調停を迎えた。しかし、それから10年以上が過ぎた今日でも、まだまだ廃屋は少なくなく、復興は継続中だ。その中で、平和の象徴として、人々が復興に動いたのが、ネレトヴァ川にかかる橋だ。元の橋は16世紀頃に架けられたのだが、川に落ちていた橋の破片を集め、足りない部分はかつての橋の原材料を産出した石切り場から集めるという徹底ぶりで、再建された。橋の名前はスタリ・モスト。最後の石は、ボシュニャク人の市長とクロアチア人の副市長がはめて、橋はめでたく完成した。2005年には世界遺産にも登録されたが、それは川の両岸を物理的に結ぶ機能だけではなく、両岸の人々の心をも結ぶ精神的な機能を評価しての事であろう。モスタルを飛び越して、ボスニア・ヘルツェコビナ及び旧ユーゴスラビア全体に発せられたメッセージだ。

こういうご時勢だからこそ、その意味を記憶に留めておきたい・・・。

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コメント

前略 いつも楽しく 拝読させていただいております。
 ただ とても残念なのは数年前の記事が とてもみつけにくいことです。 まもなく クロアチアけの旅で、お世話になるのですが、 以前読んで面白かった 添乗徒然 を見つけるのに大変苦労しました。やっとみつけて地中海欧羅巴くらぶ(古い方)を即お気に入りに追加しました。私のコースとは違うのですが何度も読み返しています。 ついでに申し上げさせていただきますと、 スイス・ロマネスクや 背広で歩いた巡礼路 もとても面白かった(添乗員さんにとっては悲劇だったとは思いますが)。普通の町の紹介より実際の旅記事のほうがいきいきして楽しめるように思います。(勿論普通の紹介も参考にさせていただいておりますが) 
そこでお願いですが、 こういう貴重な記録記事、 ぜひとも 別立てにするなどして、見つけやすくしていただけないでしょうか。ご一考お願いします。 

投稿: | 2009年6月 4日 (木) 14時26分

コメントありがとうございました。また、旧地中海欧羅巴くらぶ時代からお読み下さり、重ねて御礼申し上げます。

無機質な観光地の紹介よりも出来る限りいきいきした物をお届けしたいというのが私の目標でもあります。
このブログのカテゴリーに「添乗徒然」を新設しました。スロヴェニア・クロアチアの添乗徒然は、来週中に移設します。
少々複雑で恐縮ですが、スーツで歩いた巡礼路やスイス・ロマネスクは「現地中海欧羅巴くらぶ」に今月中に移設します。
また、それ以外の記事に関しましても、現在でもお読み頂けそうな内容の物は、追って8月までに移設させて頂きます。
尚、恐縮ですが、旧地中海欧羅巴くらぶは8月末日をもってウェブ上からご覧頂けなくなる予定です。

スロヴェニア・クロアチアの添乗はちょうど二年前の今頃でした。確か記事は添乗員視点でのツアーの成り行きに終始して、実際に現地を訪れるお客様にお役に立てるような内容ではなかった気がしますが、今思い返しても素晴らしい場所でした。是非楽しんで来て下さい!

投稿: 管理人 | 2009年6月 4日 (木) 16時13分

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