ジャック・ルイ・ダヴィッド
さて、私がジャック・ルイ・ダヴィッドと初めて出会ったのは、恐らく多くの人がそうであろう、パリのルーヴル美術館だ。ルーヴルは久しく行っていないので、今でも同じ位置に展示されているのか知らないが、入口から入って右方向に進むと、思わず圧倒される巨大な絵画が飾られている。数十万点の美術品を所蔵するルーヴルのコレクションの中でも最も大きい物の一つに数えられる。この作品がダヴィッドの「ナポレオンとジョセフィーヌの戴冠式」という作品だ。教科書にも登場したりするので、ご存知の方も多いでしょう。
1748年に生まれたジャック・ルイ・ダヴィッドは、早くからその画才を認められていた。1775年には、イタリアに留学して修行を重ね、その画才は「ホラティウス兄弟の誓い」を始めとする古典的な主題の絵画が画壇で評価され、不動の名声を手にした。ダヴィッドが生きた時代は、フランスが揺れた激動の18世紀末から19世紀である。パトロンを何度か替えながらも、最終的にナポレオンに認められたダヴィッドは、お抱えの画家となり、今日我々が知るナポレオンのイメージはダヴィッドが描いた作品の物が支配的である。
先に「ダヴィッドが描いた主題で今回のフラッシュムービーの主題と重なる物が少なくない。」と書いた。もちろん同様の主題を描いた他の画家も少なくなく、ダヴィッドは新古典派の旗手であったので、古代の神話や歴史から主題を選んだのも至って自然であった。しかし、彼の作品の主題が構成する時の流れが歴史に直結する事を考えると、ダヴィッドが筆を通して遺したかった物の中に占める歴史の比重が大きかったのではないかと考えずにはいられない。当時イタリアでポンペイやエルコラーノが発見され、考古学ブームに火がつき始める頃でもあった。有名な「球戯場の誓い」や「マラーの死」など、フランス革命前後に起こった実際の出来事を主題にしたのもそうした歴史に対する思いと考えてみたい。
ナポレオンの失脚後、その支持者の一人に見られたダヴィッドは、フランスから亡命せざるを得ず、亡命先のベルギーでその生涯を閉じた。「歴史を学べば学ぶほど、人間が歴史に学んでいない事が分かる。」という言葉があるが、歴史を描けば描くほど、歴史に振り回されたのがダヴィッドの人生でもあった・・・。
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