2008年7月 3日 (木)

ヴェルネとローヌ・アルプ

Alps 先日、マイナス7%計画達成に向けた各施策の一環として、スポーツ用品を色々揃えるために、小川町へ出かけた。今はターミナル駅の大型店に様々な商品が集中する時代になったが、神保町の古書店街から小川町のスポーツ用品店街に抜ける通りはいつも人で賑わっていた。今回もあえて水道橋から神保町を抜けて小川町に至るルートを選んだが、まず神保町の古書店が激減していた。小川町も心なしか以前の賑わいが感じられなかった。淋しい物である。

目的を達した後で、一つの商品が目に留まった。VUARNET(ヴェルネ)のスポーツ用サングラスだ。昔欲しいなと思った事があった商品だ。このヴェルネというスイスに本拠を置くブランドは、日本人にとっても無縁ではない。

ヴェルネというブランドは、チュニスで生まれたフランス人のジャン・ヴェルネ氏の名に因んでいる。成人してスキーの道に入ったヴェルネは、1960年の冬季五輪男子滑降で金メダルを獲得する。引退後は、いくつかのスキー関連団体で幹部を務め、小さな規模で自身の名を冠した「ヴェルネ・ブランド」も始動させた。1964年には、フランスのモルジンヌという所でスキー場も経営していた。そのスキー場にフランス語が話せない日本人が転がり込んでくるのである。身一つで日本を発ち、辿り着いたアメリカを早々に追われたこの日本人は、単身でモンブランに挑むという、当時では外から見れば無謀とも思える行為の末に資金が尽き、働き口を求めて周辺一帯を駆けずり回った末にモルジンヌのスキー場に流れ着いた。スキー場の勤務には、スキーの腕が不可欠であったが、この日本人は、実はあまりスキーがうまくなかった。

採用希望の日本人との面接に出たヴェルネ氏は、スキーの腕を問うたところ、問題ないという即答をもらった。この日本人にヴェルネ氏が元金メダリストであった事は後で知らされたらしい。恐らくヴェルネ氏はこの時点でこの日本人のスキーの腕を見抜いていたのではないかと思われているが、結果的には採用した。そして流浪と挫折を重ねたこの日本人の人生は、この採用を機に好転した。この日本人こそ後の植村直己氏である。
※この話の詳細(植村氏側からの観点)は、植村直己著「青春を山に賭けて」(文藝春秋)に綴られている。

Annecy ちなみに、この物語の舞台となったモルジンヌは、モンブランの北、フランス有数の景勝地として知られるローヌ・アルプ州の東部に位置する。モルジンヌその物を訪ねるツアーはないが、そのすぐ北に位置するミネラル・ウォーターで有名なエヴィアン、モンブラン観光の基点シャモニー、サヴォワの宝石アヌシーなどは、ツアーでも訪れる事ができる。

この話を聞いた時、ヴェルネ氏の人柄に感心したものだが、この人は単なるお人好しではなかった。何せ日本の商店の陳列棚をその名前が賑わすぐらいなのだから・・・。(続く)

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