2008年11月 4日 (火)

死海文書

Anman_museum ヨルダンの首都アンマンの市中心部に近い小高い丘の上に小さな建物(右の写真)が立っている。一見すると行政の小さな出張所のように見えるが、この建物はアンマンの考古学博物館である。見た目の通りこじんまりとした博物館で、ツアーではよく組合せになっているシリアの首都ダマスカスの考古学博物館の広さに遥かに及ばない。しかし、ここには驚くような物が展示されている。タイトルの死海文書だ。

死海文書とは、現在ではいわゆるヨルダン川西岸地区のクムランという場所で発見された紀元前後の文書である。その数800を越える。クムランは死海と至近の距離にあるので、より知名度の高い死海の名前が付けられたのだろう。

Dead_sea_text 死海文書は、現存する聖書としても世界で最も古い文書である。この文書の内容は主に旧約聖書であるが、全貌が見えにくく、学者の間でも秘匿されているテキストも多かった為、様々な論議や謎に包まれた文書。しかも、内容は正当な旧約聖書のそれではない。当時どちらかと言えば少数派であった教派の書物が多く、またキリスト教の新約聖書も交じっていると囁かれる事もある。死海文書が発見されたのが洞窟の中からと言うのも、謎に拍車をかけている。誰がどのような目的でこの場所にこの膨大な書物を残したのか。

Qumran_cave 都落ちした少数派の隠士達がクムランの洞窟に立てこもり、死海文書を残したという説が有力だが、一方でテキストの量が膨大である事からエルサレムの図書館からこれらの文書が疎開してきた(当時ユダヤとローマは何度も刃を交えていた)という説もある。実際にクムランには当時の町や城塞の跡も残っているので、首都の戦乱からこの町に疎開させ、後にこの町にも危急存亡の時が訪れると、近くの洞窟に書物を隠したのかもしれない。同時に財宝なども隠しそうなものだが、それは仮に当時あったとしても既に盗掘済みなのだろう。いずれにしても、クムラン一帯には当時から複数の天然の洞窟があり、人、或いは物が隠れるのに適した地形であった事は間違いない。

ヨルダン観光は何かとペトラだが、歴史深いオリエントの中でも中心の地域にあるヨルダン。丘の上の小さな建物にも古代の秘宝がさりげなく眠っている・・・。

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