2008年12月21日 (日)

ラムセス二世とアブシンベル神殿

Abusimbel_illumination 今朝はどういう訳か、日の出の時間に目が覚めた。眩い光がカーテンを染め、そのカーテンの隙間から一筋の光が部屋の普段は光が当たらない位置を明るく染めた。その場所にあったのは、いつかサハラのどこかの国でもらったラクダの人形である。久しく見る事もなかったその人形が太陽に照らされる様を見られただけでも「三文の得」かと考えを巡らせている内にいつの間にか意識は遠のき、次に気付いたのは夕陽の光も費えた夜であった・・・。

スケールはだいぶ異なるが、エジプトのアブシンベル神殿でも朝日の光が普段は光が当たらない場所を照らす日がある。その謎に迫りたい。

アブシンベル神殿は、紀元前13世紀頃に当時絶頂を極めたファラオ、ラムセス二世(以下ラムセス)によって築かれた。ラムセスは武勇に優れ、身長が180cmを越えて寿命も80~90歳ぐらいまで生きたという非常に長寿なファラオであった。ともすれば各地に自身の像を際限なく建てたラムセスのこうした肉体面の記録も吹聴と捉える趣もあったが、19世紀に発見されたラムセスのミイラを研究した学者達から当時としては驚異的なラムセスの肉体と寿命が正しかった事が証明された。カイロの考古学博物館に付属する特別室にはラムセスのミイラが実際に見学する事が可能だ。(ユーラシアのツアーでは現在博物館を訪れる全てのツアーでご案内)

ラムセスが手がけた建造物は、今日でも歴代ファラオの中で群れを抜く量が残っている。その中でも特筆すべきは、ルクソールの巨大なカルナック神殿と今回紹介するアブシンベル神殿だろう。アブシンベルはかつてヌビアと呼ばれた地域に位置し、本来はエジプトの勢力圏にない土地であった。そのラムセスの治世に遠征し、平定した後に築いたのがアブシンベル神殿である。自身の巨像を4体並べた様は壮観であっただろう。もちろん単に自身の姿を誇示する為だけでなく、巨大な建造物を造る事によって異民族が畏怖する事を狙ったのである。

Abusimbel_minor アブシンベルの隣には小神殿と呼ばれる神殿がある。こちらはラムセスの王妃であり、絶世の美女と謳われたネフェルタリに捧げられている。ファサードにはやはりラムセスの像が4体並んでいるが、ネフェルタリの像も2体立っている。

このアブシンベル神殿は現在ではおなじみになったユネスコの「世界遺産」創設のきっかけになった事でも知られる。アスワンハイダムの建設によって沈む運命にあったアブシンベルをユネスコが主体となって場所を移すことによって救ったのである。

Abusimbel_sunrise 場所を移す際も綿密な計算の元で移された。と言うのも、この神殿の向きには重要なからくりが施されていたからだ。入口から直線的に進むと、ラムセスや神の像が並ぶ至聖所がある。その至聖所に一年の間で2度だけ太陽が差し込むからくりになっている。その日は2月22日と10月22日。この2つの日には意味があるのである。ラムセスの誕生日とラムセスが即位した日なのだ(実際には神殿を移した際に日が差す日が一日ずれたそうなので、本来は2月21と10月21日であったようだ)。三千年以上も前の話とは思えなず、まこと持ってエジプト文明の驚異である。

せっかくエジプトに行くのであれば、是非このアブシンベルの朝日が起こす奇跡を見ておきたい。かなりの早起きを強いられるが、古代エジプト文明の絶頂を極めたファラオの奇跡を見られれば、三文の得どころではない・・・。

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