2009年8月12日 (水)

アレキサンドリア(エジプト)

Alexdandria_thater 昨日はアレキサンドリアを巡る展示会、映画や小説の事を綴ったが、今日は実際のアレキサンドリアの姿を紹介したい。

アレキサンドリアは、エジプトの歴史の中ではそれ程古い町という訳でない。古代エジプトの最初のファラオが出現した時代からは2,500年以上後、世界的に有名なトトメス二世やラムセス二世らの時代からは千年以上も後の紀元前332年、エジプト遠征中のアレキサンダー大王(アレキサンドロス)によって築かれた。しかし、その後の数百年の間はエジプトの他のどの都市も及ばぬ繁栄を極め、今日でもカイロに次ぐエジプト第二の都市だ。エジプトと言うとギザ、ルクソールやアスワンにどうしても目が行きがちでちょっとその順路から外れているアレキサンドリアは訪れない場合も多いが、ユーラシアのツアーでは割合アレキサンドリアまで足を伸ばすツアーが多い。もちろんそれは個人的な思い入れに拠る物ではない。

アレキサンドリアを語る時に4つのキーワードがある。

古代世界七不思議の一つに数えられた「ファロス島の大灯台」、人類の叡智が結集した「ムセイオンと大図書館」、昨日紹介した「アレキサンダー大王」と「クレオパトラ」だ。

Qaitbey_panorama ◆「ファロス島の大灯台」
大王の部下プトレマイオスがプトレマイオス朝を開いて間もなく、紀元前300年前後に建造された灯台。その高さは約140mにも及び、昼も夜も休みなく沖合いの船に向けて光を放ったと言われている。この140mという数字は、ギザのピラミッドの中で最も大きいクフ王のピラミッドの高さとほぼ同じ高さである。もちろんピラミッドの建設も大変だっただろうが、同じ高さの灯台を建てるのは基部面積が小さいだけに困難を極めた事は間違いない。だからこそ七不思議のひとつに選ばれたのだろう。残念ながら何回かの地震によってこの灯台は段階的に崩壊し、15世紀にはその資材が同じ場所に代わって建てられたカイトベイの要塞に転用された。海を望むこの要塞に立てば、

Alexandria_library_exterior ◆「ムセイオンと大図書館」
大灯台とほぼ同じ時期にプトレマイオスによってアレキサンドリアにムセイオンと付属図書館が建設された。ムセイオンとは古代の学問研究施設で、現在のミュージアムの語源となった言葉だ。古代エジプト、メソポタミアとギリシャ文明の書籍が集められた図書館と共にこの場所は当時世界で最高の叡智が結集された場所であった。幾何学の基礎を築いたユークリッド(エウクレディス)、地球の直径をほぼ正確に計算したエラトステネス、当時最高の学者と言われたアルキメデスもこの図書館とムセイオンで学んだ。
残念ながらこの図書館は古代ギリシャの思考を異端としたキリスト教の過激派によって壊滅的な打撃を受け、この地で培われた「知」も消失してしまった。しかし、その一部の蔵書や知識は後にアラビア人の手に渡り、その後ヨーロッパのルネサンス運動にも影響を与えた。ちなみに現在のアレキサンドリアには、二千年前の輝かしい栄光を取り戻す為に、巨大な新アレキサンドリア図書館が数年前に開館した。

◆「アレキサンダー大王(アレキサンドロス)」
この項については昨日の記事で紹介したが、プトレマイオスによってエジプトに運ばれてきた大王の遺体は、一時期メンフィスに置かれた後はアレクサンドリアに運び込まれて来ているはずである。それを裏付ける物として、アントニウスとクレオパトラを追ってアレキサンドリアに来たローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが大王の墓に参拝した記録が残っている。プトレマイオス朝の王達のミイラも見せようとした地元の神官達に、「余は王に会いに来たのだ。」と言ったと言われる。以後の皇帝の記録にもアレキサンドリアの大王の墓に参拝したという記録が複数残っている。アレキサンドリアに足を踏み入れると、どこかにそれがあるはずという思いを抱けば、訪問もより充実した物になるだろう。

Dendera_cleopatra ◆「クレオパトラ」
絶世の美女として知られるクレオパトラもまたアレキサンドリアの歴史を彩った人物の一人だ。よくエジプトのイメージがつきまとうが、実際には大王の部下でエジプトを治めたプトレマイオスから続く家柄に属するので、クレオパトラは人種としてはギリシャ人(マケドニア人)である。クレオパトラが生まれた前一世紀、地中海はローマ帝国の内戦で大きく揺れていた。その内戦の中で、クレオパトラはポンペイウスを追ってエジプトに来たカエサルと果たし、先日紹介したナイル河クルーズに出かけ、カエサルとの間にカエサリオンという息子が生まれる。順風満帆に思えたクレオパトラの人生であったが、カエサルが暗殺されると、その運命は一変する。やがてアントニウスとアウグストゥス(オクタヴィアヌス)の内戦が始まると、クレオパトラはアントニウスを選び、アントニウスもまたクレオパトラを愛した。アウグストゥスがエジプトに来襲すると、クレオパトラが既に殺されたと勘違いしたアントニウスは自決した。実際にまだ死んでいなかったクレオパトラは自分を信じた男に、そして恐らく心から嫌っていたアウグストゥスに頭を下げる事を由とせず、アントニウスの後を追って自殺した。クレオパトラはアウグストゥス(及び本土に住むローマ人)に目の仇にされていたが、アントニウスと共に葬って欲しいというクレオパトラの遺言をアウグストゥスは守った。そのお墓もまだ発見されていない。今年の春先にアレキサンドリアの沖合いでそれらしき物が発見されたというニュースがあったので、今後に期待がかけられている。

これ以外にもアレキサンドリアには歴史のミステリーがいくつか残されているが、これぐらいにて。エジプトではピラミッドや大神殿も良いが、アレキサンドリアもお忘れなく・・・。

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