ヘロデ王の墓(イスラエル)
ここ2回アレキサンドリアについて紹介したが、エジプトから中東には数多くの古代ロマンが秘められている。今日は旧ブログの記事の流用だが、ユダヤのヘロデ王の紹介をしたい。2年前、ヘロデ王の墓が発見されたというニュースが流れ、その後何回かの発掘によってヘロデの息子と思われし棺も見つかっている。詳しくは、ナショナルジオグラフィックのページをご参照下さい。
ヘロデ王は新約聖書の聖家族のエジプト逃避に繋がる幼児虐殺で悪名高い王だ。晩年は身内(特に息子達)を疑っては、次から次へと粛清し、友好的な関係を持っていたローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスからも有名な皮肉を言われたそうだ。いくつかの史書や聖書のマタイ伝にもその著述が残っている。
「余は、ヘロデのヒュイオス(息子)であるよりは、ヘロデのヒュス(豚)でありたい。」
アウグストゥスという人物は、「昼は戦場、夜は扇情」と言えなくもない奔放なカエサルと比べると、体も弱く、控えめで地に足のついた落ち着いた性格であったと言われている。そのアウグストゥスが強烈な洒落(ヒュイオスとヒュスをかけている)を言うぐらいであるから、ヘロデの行動は、地中海世界の中でもよっぽど目立っていたのではと考えてしまう。
しかし、当時の情勢を考えれば、お人好し君主では生き残れなかったであろうという事も推察できる。ローマ帝国の辺境で四方から侵略を受け続けたユダヤ人達はほとんど国家と呼べるようなものを持っていなかった。その中で国内の勢力争いを制し、ローマからの信頼を勝ち得、ローマを嫌う自国民も手なずけ、そして対外的な戦争でも奮闘して大王と呼ばれるまでに出世したヘロデは乱世の一方の雄と言えるだろう。ある意味「奸雄」であろうが。ヘロデは難攻不落のマッサダの要塞、エルサレムの巨大な神殿など、多くの
巨大で強大な建造物を築いた事で知られる。現在もエルサレムに残るユダヤ教随一の聖地である「嘆きの壁」は、ヘロデが築いた巨大な神殿の一方の壁だ。
ヘロデ亡き後、ローマに対して反旗を掲げたユダヤ人達が非業の最期を迎えたのは、マッサダの要塞だ。ちなみにこれ以後ユダヤ人は今も物議を醸す1948年のイスラエル建国まで、流浪をし続ける事になる。
ヘロデの墓が発見されたとされるヘロディオンは未だ発掘中なので、見学できる日がくるかどうか分からないが、マッサダの要塞や嘆きの壁は今でもツアーで訪れられる。ヘロデは「名君」だったのか、或いは「迷君」だったのか。歴史の評価は、後者に圧倒的に傾いているが、「約束の地」には、そのヒントがあるのかもしれない・・・。
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