2009年10月23日 (金)

ナバテア人の古代都市ペトラ(ヨルダン)~その1~

Petra_decamanos 今日買物に出かけた後に席に戻ったら、机の上にペトラ(ヨルダン)のちらしが乗っていた。手にとって眺めてみると、ペトラの象徴でもあるエル・カズネのちょっと変わった上から見下ろした写真が載っていた。何を隠そうユーラシア旅行社の添乗(視察・研修除く)で最も訪問回数の多い国がヨルダンなので、とても懐かしくペトラが思い出された。そこで今日はペトラである。

ヨルダン南部のペトラが旅人の心をくすぐり続けている最たる理由は、その地理的な特性であろう。ペトラはごつごつとした荒々しい低山が並ぶ一帯の中に位置しており、わずかな道を除いて外部と遮断されている。それ故長く人の記憶から忘れ去られた幻の都となったのだ。

Petra_el_kazne3 ペトラが歴史に登場するのは、紀元前6~5世紀頃に南部のアラビア半島からやってきたナバテア(ナバタイ)人達がこの地に定住する事になってからだ。南にはシヴァの女王の国と言われたイエメンやエチオピアがあり、北はアッシリア、アケメネス朝ペルシャ、セレウコス朝シリアと支配者の入れ替わりが激しかったものの、各都市はかなり高度な文化を持っていたシリアがあったので、南北通商の中継都市として重要な地位を占めた。また、東にはメソポタミア、西にはエジプトもあったので、南北程ではないものの、東西の通商路においても要地の一つであった。ナバテア人達はこの地を通過する隊商達の安全を守る代わりに大きな手数料を得て生活の糧にしていたと言われている。また、貴重な湧き水だけに頼らず、優れた灌漑システムを構築した。最盛期には、北はダマスカスから現在のヨルダン、そしてサウジアラビアの北部まで勢力範囲を延ばした程。ローマ帝国が地中海を制圧した後も、アルメニアと同じように東の大国パルティアとの緩衝地帯として、しばらくは存続したが、紀元後106年に領土拡張の為に身を粉にして戦い続けたトラヤヌスによって、ローマ帝国の版図に組み込まれてナバテア王国の時代は終わった。街はローマ式に改造され、ナバテア人の名はいつしか歴史から忘れ去られていった。

中世においてもペトラの町の存在を知っていた人はいたはずだが、エジプトのような特例を除いて中世の時代に遺跡に対する興味を持つ人はほとんどいなかったので、ペトラの遺跡は岩窟地帯の中で久しく佇み続けた。しかし、18世紀半ばにポンペイが発見されて、ヨーロッパに考古学ブームが起きると、19世紀初頭にスイス人探検家ブルクハルトによってペトラという幻の都市の存在が世に示された。しかし、ナバテア人という民族が歴史から忽然と消えてしまった事と、長い間歴史から置き去りにされた事でペトラは今日でも多くの謎を残したままだ。

長い前置きになってしまったが、次回は今日実際に訪れるペトラの魅力に迫りたい・・・。

|

中近東ツアー」カテゴリの記事

ユーラシア旅行社が世界の歴史を語る」カテゴリの記事

コメント

大変参考になりました。
内容が一番充実しているのでぺトラを御社の旅行で行きたいと考えています。ちょっと予算が足りないのがネックですが。
難しい質問かと存じますが、現在の円高で今後旅行代金は下がる可能性はありますか。

投稿: ハッサン | 2009年11月 1日 (日) 19時52分

ハッサンさん

コメントありがとうございます。
料金の面に関しましては、全方面ともに鋭意努力させて頂きます。
シリア・ヨルダンに関して申し上げれば、2010年1~3月のツアーは、2009年の同時期比で2~5万円安い料金でご提供しております。また、燃油サーチャージが上昇傾向にありますが、当社では追加で徴収する事は致しません。
内容にはもちろん自信を持っておりますので、是非ご検討下さい!

投稿: 管理人 | 2009年11月 2日 (月) 16時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。