2009年10月14日 (水)

ミトラ教とサンクレメンテ教会(ローマ)~その1~

St_clemente (この記事は、旧ブログ掲載記事のリメイクです)

先日、地中海におけるメドゥーサ信仰について紹介したが、古代地中海でもう一つ見逃せないのが、ミトラ信仰であった。古代ローマ帝国が地中海を制覇した1~2世紀頃にミトラ教は流行した。このミトラ教は元々はオリエントやインド辺りの信仰で、恐らくアレキサンドロス(アレキサンダー)大王の東征が地中化にもたらした産物の一つである。キリスト教と違ってローマ帝国の中でも比較的上流階級の信者がいた為、キリスト教のように表立った弾圧もなく、密かに広まっていた。密かにである。ミトラ教の信仰は、街の中心に大規模な神殿ではなく、主に地下の祠で行われた。この時期弾圧から逃れるためにキリスト教徒も主に地下での活動を余儀なくされていたので、ある意味近かったのかもしれない。ちなみにミトラ神の誕生日は、12月25日頃(冬至の頃)であった。これはキリストが生まれる前からの風習であったので、現在のクリスマスは或いはミトラ教徒をの改宗を容易に運ぶ為であったのかもしれない。もちろんこれはクリスマスを否定する物ではなく、古代の宗教において、このように他宗教の風習を取り入れる事は珍しい事ではなかった。

St_clemente2 3~4世紀にかけて、主にキリスト教の台頭によって古来のローマの神々の存在が疑問にさらされるようになると、ミトラ教もキリスト教と合わせて、次なる国教の座を争ったとされるしかし、遇えなく破れ、一部その信仰の断片をキリスト教に残して忽然と歴史から姿を消した。

元々地下の信仰であった為に地中海におけるミトラ教の痕跡はほとんど残っていないが、ローマのコロッセオの近くにその貴重な遺構が残っている。サン・クレメンテ教会である。この教会は、キリスト教徒であった聖クレメンテの家の跡に建てられた教会。これもまたいわくつきなのである。

聖クレメンテの生涯には諸説あるが、まだキリスト教が公認されていない頃、元老院階級に属していたキリスト教徒だと言われている。そう裕福でない同胞達に、自身の住居の地下をキリスト教の地下活動に開放していたと言われる。初代法皇のペトロの次の次に続く三代目(四代目?)法皇に認定されてもいる。但し、この頃の法皇は表立って有していた権力はなかったが・・・。その後、諸説あるのだが、トラヤヌス帝の時代にクリミア半島に流され、そこで黒海に沈められて殉教したと言われている。しかし、住居の地下の集会場があった場所は、クレメンテの殉教後ますます重要性を帯びるようになり、キリスト教が公認された後は、その場所にクレメンテに捧げられた教会が立ち、今日まで至っている。

この教会が面白い。今地上に立っている部分は、11世紀頃に建てられた教会を外部は何度か改築を重ねたもの。そして内部に入ると、11世紀当時の姿をよく残している鮮やかなモザイクの装飾の後陣が目に飛び込んでくる。しかし、サン・クレメンテ教会の目玉はこの場所にはない。聖堂の右手に何やら地下へ続く階段がある。その先にこそ、行かなければならない。しかし、意外にもこの1階部分で満足して帰る人も多いと言う。その理由は、教会内に行けば分かるだろう。地下へ続く階段の手前に安くない入場券を扱う売り場があるのだ・・・。
(明日に続く)

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