2009年11月26日 (木)

アッピア街道サイクリング記~その2~

前回の続きから

Quo_di_vadiz さて、ウォーキングをあっけなく妥協してサイクリングに切り替えた私、意気揚々と公園事務所前から出発した。間もなくして一軒の教会の前に差し掛かった。通称「ドミネ・クオ・ヴァディス教会」と呼ばれる教会だ。ローマから去ろうとしたペトロがアッピア街道に入って間もなく、この場所でキリストが現れ、ペトロが「ドミネ・クオ・ヴァディス=主よ、何処へ」と尋ねた事から教会の通称となった。ちなみにキリストは「もう一度十字架に架りに行く」と答え、全てを悟ったペトロはローマに戻り、そのまま現在のサンピエトロ広場で逆さ十字架に掛けられた。

私はまだローマには戻れない。颯爽と教会の前を通り過ぎた。ちなみにこの教会の前で道路が分岐しており、いよいよアッピア街道は道幅の狭い旧街道の趣きを呈し始める。

Appia4 ドミネ・クオ・ヴァディス教会の付近にいくつかあるカタコンベを横に見ながら自転車をこぐ。結構な運動で11月に関わらず汗がじわりと額を流れる。自転車に乗ったのは10年ぶりぐらいなので、そのせいで疲れたかと思っていたが、実はアッピア街道はローマから最初の数kmはずっとゆるやかな上りなのだ。そんな中目の前にゆるやかでない上りが現れた。もちろん私の対応は白旗。ゆっくりと自転車を押し始めた・・・。

Appia10 その急な坂を上ったところに立派な建物があった。チェチリア・メテッラの墓である。チェチリア・メテッラは三頭政治で有名なクラッススの息子の嫁であった。クラッススという人物はカエサルのパトロンでもあり、当時の地中海で最も裕福な人物だったとされる。その財力を背景に息子の嫁にもこんな立派なお墓が建てられたのだろう。ちなみにチェチリア・メテッラの夫を含むクラッススの息子達は、カエサルのガリア遠征に帯同し、大きな功を挙げた。

Appia5 このお墓の前で急な坂道は終り、気合を入れて再び自転車をこぎだした。しかし、その途端ぼこぼこして走れなくなった。何故かと言えば、あまり連続して長い区間はないが、ところどころに古代ローマ時代の敷石が現れ、到底自転車では走れないのでまた再び自転車を押して歩き始める。

道幅はさらに狭くなり、いよいよ古代街道らしい風景に突入した。自転車をがたごと押しながらふと思った。歩いてもあまり変わらなかったかもしれないと・・・。(続く)

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