2009年12月25日 (金)

十字架の丘(リトアニア)

Lithuania_cross_2 今日はクリスマス。個人的には特に感傷はあまりないが、理由がどうあれ、人と人が触れ合うお祝いの日は一年に何度あっても良いだろう。そんな訳で今日は十字架に関する話題を。(クリスマスはキリストが生まれた日と一応されているので本来死ぬ時の十字架はそれ程関係ないが、あしからず・・・)

キリスト教の聖具(聖遺物)は数多くあるが、聖杯と並んで聖十字架は歴史を通じて最も重要な聖具として信仰の対象になってきた。その中にあって特に十字架への信仰が強い国がリトアニアだ。

リトアニアは、十字架の国とも呼ばれ、木を利用した十字架の生産が盛んである。一説によれば、十字架のようなシンボルがキリスト教が到達する前から既にあり、そこにキリスト教の信仰が融合してこの地では特に十字架に対する信仰が深くなったと言われている。18世紀後半からロシアの影響力がこの地に及び始めると、ローマカトリックの十字架はリトアニアの徐々に独立のシンボルとなり、それは激動の20世紀を経て今日まで息づいている。

Lithuania_cross2 リトアニア北部、ラトビアとの国境近くに十字架の丘と呼ばれる場所がある。この地には元々、ロシアの圧政に対して抵抗し、国の為に殉じた人々の為の墓地があったと言われる。その多くが処刑によって命を落とした。当局の厳しい監視下の中でも国の英雄を祀る為に、いつしかリトアニア人達は十字架をこの地に建てるようになった。国の為に殉じた英雄達をキリストの犠牲に重ねて。以来、この丘は十字架の丘と呼ばれるようになり、リトアニアのナショナリズムを象徴する場所となった。当然ながらロシア(及びその後のソ連)の当局がこの場所に対して注意を置くようになった事は言うまでもない。ソ連時代には何度か撤去工作も仕掛けられた。実際にブルドーザーによって丘が破壊されたり、丘を水の底に沈めるためのダム建設計画も持ち上がったが、リトアニア人達の強い気持ちによってこの丘は危機を何度もくぐりぬけて今日に至っている。

Lithuania_cross3 独立直後の1993年には、教皇ヨハネ・パウロ二世がこの十字架の丘を訪れてミサを行い、この丘とリトアニア人達の信仰を讃えた。その場所にモニュメントが作られ、そこにも十字架が重ねられていっている。2006年には、人々が積み重ねた十字架の数は10万を越え、その光景は壮観だ。

ちなみにリトアニアの特産品でもある木の十字架はこの丘の露店でも売っているので、希望であれば観光客でも十字架に思いを託す事が出来る。初詣の絵馬と同じようなご利益があるかもしれない・・・。

リトアニアのツアーはこちら
添乗見聞録「十字架の国リトアニアにて、十字架を建てる」(お気に入りの記事です)

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