2010年1月31日 (日)

ジェラート(イタリア)

01310002 今日横浜のランドマークタワーをぶらぶらしていたら、行列の出来る店があった。若い女性が特に多く並んでいるこの店の前に止まったのは何もすけべ心ではない。店名に惹かれたのだ。「Gelato Firenze」がその名である。シンプルなようでありながら実は妙を得た名前だなと感心した。

近年日本でも知名度が上がって来たジェラートという言葉をご存知の方も多いだろう。アイスクリームのようだが、アイスクリームではないイタリアのジェラートはなかなか奥深い歴史を持っている。

旧約聖書の中でエジプトを脱出したモーゼ率いるヘブライ人達が目指した場所が「乳と蜜の流れる」約束の地カナン(現パレスチナ・イスラエル)の地であった。乳と蜜は理想郷の象徴でもあったのだが、その乳と蜜に氷を混ぜれば簡単なシャーベットの出来上がりである。カナンの地に接するように冬には雪を戴くレバノン山脈がある。事実かどうか定かではないが、ヘブライ人達が実際に氷を混ぜて食したという解釈もあるようだ。

古代ローマ時代に入って地中海が統一され、富裕層が莫大な富を手にするようになると、食文化も一気に発展した。現代程ではないが、イタリア半島の夏の気温は結構上がるので冷たい食べ物は重宝された。その中でカエサルは、アルプスやアペニン(イタリア半島を縦断する山脈)から氷を運ばせ、やはり乳や蜜を混ぜて食し、その後ローマ市民の間でも一定の広がりを見せたと言われている。かつて一度オプロンティスというナポリ近郊の遺跡で古代ローマメニューの再現というビュッフェに参加させてもらった事があった。その時のデザートにアイスクリームの原点のような物があったのがきっと当時の伝承を元に作った物だったのだろう。アイスクリームというよりかき氷に近かった印象がある。

時代は進み、中世に入るとこの氷のお菓子はレシピも整い始め、特にフィレンツェやローマでは上流階級の間でデザートとして定着し始めていた。中でもフィレンツェを治めていたメディチ家は一流のレシピを持っていたようであり、16世紀にメディチ家出身のカトリーナ・ディ・メディチがフランスの王家に嫁に行った際にイタリアから料理人を多数連れて行った。そしてフランスの宮廷で門外不出のレシピを多数振る舞い、フランス人達は痛く感銘したと言われている。この時にジェラート(アイスクリーム)も振舞われた。ちなみに現在のフランス料理の起源はこのカトリーナ・ディ・メディチが持ち込んだイタリア料理にあると言っても過言ではないだろう。

01310005 こんな歴史を辿ったアイスクリーム(ジェラート)だから、店名にフィレンツェを付けた事も納得が行く。「ローマの休日」のアン王女を例に出すまでもなく、今では世界中で愛されている味だ。どれどれ、私も一つ頂こう。落とさないように気をつけなきゃね・・・。

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