2010年3月15日 (月)

ストラットフォード・アポン・エイボン(イギリス)

Avon 日本で関ヶ原の戦いが行われた西暦1600年、ローマではカラヴァッジョがサン・ルイジ・ディ・フランチェージでバロック絵画の幕開けを告げる聖マタイの三部作を世に発表した。その同じ年にイギリスで後世まで残る名作が発表された。シェイクスピアの「ハムレット」である。かつてシェイクスピア作品を読み耽り、いくつか演じる機会にも恵まれた私にとってシェイクスピアの生地は聖地でもある。その聖地がイギリス中部にあるストラットフォード・アポン・エイボンだ。

ストラットフォード・アポン・エイボンの長い名前は、エイボン川沿いにあるストラットフォードを意味している。専らシェイクスピアの生地としての名前が知られているが、イギリスらしい中世以来の趣きある邸宅も少なくないかわいらしい町である。

Shakespeare_house ストラットフォード・アポン・エイボンを訪れたら、まず一番目に訪れたいのは、やはりシェイクスピアの生家だ。ストラットフォード・アポン・エイボンには、シェイクスピアゆかりの邸宅がいくつかあるが、なんと言っても生家こそ全ての原点だろう。

ウィリアム・シェイクスピアの父ジョンは皮手袋商であったが、比較的裕福であったので、家も結構立派である。残念ながらシェイクスピア自身の物はほとんど残されていないので想像を膨らませるしかない。しかし、チャールズ・ディケンズやマイケル・キーツ、トーマス・ハーディら英文学を代表する作家達も参拝した印が残っているので、自分がいる場所がどれだけ聖地なのかは実感できるだろう。実際シェイクスピアの生家はイギリスでも歴史ある観光地の一つで、250年前の18世紀半ばには、既に観光客が来ていたそうだ。

Stratford_anne もう一つ訪れたい場所がアン・ハザウェイの家だ。アン・ハザウェイは、シェイクスピアの終世の妻である。この家は、彼女が成人するまで過ごした家。アン・ハザウェイは、シェイクスピアより8歳年上であったが、若きシェイクスピアもこの家にアンを口説きに来たと言われている。気の利いたソネットの一つでも歌い上げたのだろうか。シェイクスピアが18歳(アンが26歳)の時に2人はめでたく結ばれた。この家のいいところは、今でも庭がきっちり整備されていて、中世らしさが色濃く漂っている事だ。

後は時間が許せば、聖トリニティ教会やエイボン川沿いの劇場でシェイクスピア作品を観賞できれば言う事ないが、一般の人にはそこまで必要ないかな。最近では著名な観光地であるだけにシーズン中は人も多いが、生前のシェイクスピアがこの光景を目にしたら皮肉っただろうか。いや、そんな事はないだろう。皮肉ったとしても喜びの裏返しであっただろう。名誉の為に名誉の物語を名誉の舞台に送り出した文豪はきっと天上で静かに微笑んでいるだろう・・・。

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