2010年11月10日 (水)

キュレーネ(リビア)

Cyrene6 先日リビア中央部のサハヴィと呼ばれる地域で3,800万年前頃の真猿類の化石が発見された。リビアは産油国でもあるように、その地には古代から育まれた生命の跡が今も眠っている。有史以前の物もあれば、古代の人々が築いた栄光の足跡も残されている。その一つが、サハヴィからそれ程遠くない一帯に位置するキュレーネだ。

リビアと言えばローマ時代に繁栄したレプティス・マグナ遺跡もまた素晴らしいが、古代地中海における重要性はキュレーネの方が遥かに高い。今日はそんなキュレーネを紹介したい。まずはその場所。


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Cyrene2 地図を拡大すれば分かり易いが、リビア東部の海に近いキュレーネは、実は地中海を挟んでギリシャからはそう遠くない位置にある。ギリシャ人達が築いた植民都市の中でも大きな力を持っていたシチリア島のシラクーサ、イタリア半島のターラント、南仏のマルセイユ、現トルコのアンティオキアなどよりもギリシャ本土に近く、ギリシャ人達が新天地として目指したのも頷ける。ちなみに紀元前7世紀にキュレーネの礎を築いたのは、現在のサントリーニ島からやってきた人々であった。キュレーネの名はギリシャ神話の中でリビアに住む妖精の名に由来している。

Cyrene_2キュレーネは間もなくして当時のリビアの中心都市となり、前5世紀末のペロポネソス戦争でギリシャが衰退した後は、マケドニア、プトレマイオス朝、古代ローマの勢力圏に収まりながらも自治を維持した。特産はシルフィウム(Silphium)と呼ばれる薬草(香草)でキュレーネの通貨には必ずと言っていいほど描かれていたそう。ちなみにこの薬草の親戚が現在でも歯磨き粉の成分として用いられていたりすると言うからキュレーネ人達の知恵には頭が下がる。地中海の一方の雄として栄えたキュレーネはその3世紀以後に複数の大地震に見舞われ、町の大半が崩壊してローマ帝国よりも先に没してしまった。

Cyrene3 今日のキュレーネはある程度修復も進み、当時の栄華を思い起こさせてくれる町並みが残っている。古代の巨大都市であっただけに遺跡は広大だ。リビアにはローマ時代の細めのコリント様式の柱が並ぶ遺跡が多いが、ここは本場ギリシャよろしく、重厚なドーリア式の柱で形成された神殿が複数残っている。主神のゼウス神殿、季節の女神デメテルの神殿、など随所に当時の姿を留める神殿が立つ。かつては多くの人が参拝したのだろう。そして一番驚かされるのは、広大なギムナシウムだ。ギムナシウムは今日の「ジム」の語源となった施設で、競技の前の準備運動の為のスペースであり、今日のジムと同じように一定の社交も交わされていたのではないかと言われている。キュレーネのギムナシウムはとにかく巨大で、この町がいかに栄えていたかを一番感じさせてくれる場所だ。

Cyrene4 ゼウス神殿やギムナシウムがある一帯から緩やかに海に向かう道がある。余程天気が悪くない限りは、ここから地中海とキュレーネの外港であったアポロニアが見えるはずだ。この道を下った先には、神託の神アポロンの聖域が広がっている。

Cyrene5 アポロンはギリシャのデルフィの神託で知られるが、キュレーネでも似たような儀式をやっていた時もあったようだ。実際にサントリーニ島の人々が元々この地にやってきたのも、アポロンの神託に因るものであったとヘロドトスが書き残しているぐらいなので、アポロン信仰は篤かったと思われる。きっと多くの巡礼者がこの神殿にもやってきたことだろうと思いを馳せずにはいられない。これ以外にもキュレーネには数多くの遺構が残されているが、それは実際に見てのお楽しみに。

歴史を求める考古学者も人類のルーツを求める人類学者も石油を求める商社マンも向かうリビア。旅情を求める旅人が行かない理由はない・・・。

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