2010年12月20日 (月)

フィリッピ(ギリシャ)

Phillipi1 昨年は様々な経済問題に揺れたギリシャだが、一年が過ぎてだいぶ落ち着いてきた。なんだかんだ言ってもデモクラシア(民主政治)を生んだギリシャ人、その産物を受け入れる器量もそれなりにあるはずだ。

紺碧のエーゲ海と白壁の家並み、丘の上に建つ壮大な神殿、奇岩の中に修道院群が現れるメテオラの奇景などギリシャには色々なみどころがあるが、やはり私が好きなのは以前記事で紹介した「エグナティア街道」である。この道こそ英雄達の道である。今日はギリシャ内にあるエグナティア街道の要衝であるフィリッピを紹介しよう。

Phillipi2 フィリッピはギリシャ第二の都市テッサロニキの東方、現在のイスタンブールとローマを(アドリア海を経て)結んだエグナティア街道の重要な中継地に位置する。町を紀元前4世紀半ばに建設したのはアレクサンドロス(大王)の父フィリッポス二世であった。この一帯が鉱物資源に恵まれていた事もあるが、来る東方遠征(この遠征は父の遺志であった)への布石でもあったのであろう。実際にアレクサンドロスもこの町を経て、東へ向かった。

Phillipi3 フィリッピが本格的な発展を遂げるのが共和制ローマ時代に入ってからで、既に交通の要衝であったギリシャからトルコに向かう道がエグナティア街道としてローマ式に整備され、この時期町は大いに繁栄した。エグナティア街道はカエサル対ポンペイウス、アントニウス・オクタヴィアヌス対カシウス・ブルータスの主戦場にもなり、特に後者の決戦はこの町のすぐそばの平原で戦われ、共和制から帝政への移行が決定的となったフィリッピの戦いとして歴史に名を刻んでいる。帝政初期にはアジア側から渡って来たパウロがヨーロッパ本土初の布教を行い、多くの信者を獲得した。そのおかげでキリスト教がローマの国教となった後もフィリッピは宗教的にも重要性を得、5~6世紀頃にはコンスタンティノープルのアヤ・ソフィアに負けず劣らずの壮大な聖堂が建っていたと言われている。

Phillipi4 そんな繁栄を極めたフィリッピにも落日が訪れる。7世紀前半に巨大な地震に見舞われ、町がほぼ全壊し、その後かつての栄光を取り戻す事はなかった。しかし、今日の遺跡を訪れると、当時の栄光が目の前に蘇ってくる感覚がある。東方遠征に向かうアレクサンドロスの軍隊、エジプト帰りのカエサル(とクレオパトラのカップル?)、ブルータスを追うアントニウス、西方布教に向かうパウロ・・・。フィリッピの近郊には古代エグナティア街道の跡(左上の写真)も残っているが、東西を行き交った物資とともに、文字通り歴史を彩った英雄達が通った道と町である。現代では小川になってしまったルビコンを越えるよりは簡単、さあ賽を投げてみませんか・・・。

エグナティア街道の旅はこちら

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