2011年2月 6日 (日)

スプリット(クロアチア)

Split1 現在社内で2011年分の新しいパンフレットが続々と完成している。その中でちょっと変わったとも言えるのが「クロアチアと中欧」というパンフレットだ。以前までは専らバルカン半島の国々の一国としてツアーが掲載されていたクロアチアだが、今年はかなり前面に押し出して行く心づもりが感じられる。そんな訳で今日はクロアチアの町を紹介しよう、表題のスプリットだ。

スプリットは、クロアチアのアドリア海沿岸部のほぼ中央に位置する港町だ。

Split2_2 スプリットはクロアチアの町の中でも最も古い歴史を持つ町の一つで、紀元前には既に古代ギリシャ人達が植民都市を築いていた。その後イリリア人達の時代を経て、古代ローマ帝国がアドリア海沿岸を支配下に収める。2世紀に五賢帝の元で絶頂を極めたローマ帝国も3世紀に入ると衰えの兆候を見せ始める。この時代寿命をまっとう出来た皇帝はほとんどいなく、その多くが不慮の死を遂げていた。スプリット近郊の出身で軍・政共に優れた能力を発揮していたディオクレティアヌスは軍部の推挙で284年帝位に就き、在位中広大な帝国を4分割した事を始め、傾く帝国の衰退を食い止める事に努め、一定の成果を挙げた。その後退位してスプリットに築いた宮殿に隠居した。

Split3 宮殿というよりも要塞に近いこの建物はディオクレティアヌス亡き後も「町」として使われ、人々が今日まで中に住んでいる。上部左の写真は宮殿の海側の壁だった跡。現在も比較的よく残っていて、当時の要塞の名残を感じさせてくれる。その壁から中に進むと、中央部の広場に出る。かつて宮殿の中心部だった場所で、ディオクレティアヌスの墓もすぐ横に作られたが、後世その墓はスプリットの町の大聖堂に改築された。この広場には古代ローマの柱やエジプトから持ってきたスフィンクス、神殿の上部もよく残っている。そしてその神殿の柱の間にはカフェやお土産物屋があり、古代と現代の共存を目に見て取る事が出来る。広場の先から四方に伸びる小道にも住居やお店が並んでいるのでぶらぶら歩いてみるのも良いだろう。

Split4 宮殿の外に出ると、中世以降に形作られたスプリットの市街が佇んでいる。暗くて不思議な宮殿部から出てくると、開放的に感じられる事だろう。こちらにはアドリア海の海の幸を生かしたレストランや洒落たカフェやお店が並んでいる。海岸線には遊歩道があり、美しいアドリア海を眺めながらの散歩も楽しいだろう。クロアチアではドブロヴニクが大人気だが、古代と現代が見事な調和を見せるスプリットもクロアチアの旅には欠かせない。2011年も目が離せない・・・。

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