2011年3月27日 (日)

ドバイワールドカップ2011

Dubai_night 1784年イギリスのロンドン郊外、二人の男がコイントスをした。一人はジョッキークラブ(競走馬運営団体)の会長バンバリー卿、もう一人はロンドン郊外のエプソム競馬場を所有するダービー卿(12代目)。この二人はこれからエプソム競馬場で行う大きなレースの名前を決める為にコイントスをし、勝ったダービー卿の名前がレース名になった。現在のダービーという競争の起源である。イギリスにいた頃、この伝説についてレポートをまとめた事がある。その時にサラブレッドの歴史や現在の世界の勢力分布図など色々調べた。当時日本の馬が海外遠征する事はあったが、そのレベルは欧州や米国に到底及ばないレベルだと見られていた。

ところが、日本時間の本日未明、世界最高賞金(一着賞金600万米ドル≒4億8千万円)のレースであるドバイワールドカップで北海道産の日本馬がワンツーを決めたのだ。震災で暗いニュースが多い中で明るい話題はうれしい限りだが、この結果に至るまでの険しい道を知るとその感慨は一層増すだろう。

ドバイワールドカップは数百年の歴史があるイギリスのエプソムで行われる英ダービーやフランスのパリで開かれる凱旋門賞と比べると遥かに歴史は浅く、1996年に創設されたばかり。しかし、第一回からサラブレッドのレースとしては破格の賞金を設定し、世界各地の一流馬が集う上半期の世界一決定戦としての地位を固めた。

この世界一のレースには日本の関係者も積極的に参戦し、15年の歴史の間に19頭が挑戦して来た。この19頭はもちろんそこら辺の馬ではなく、日本が誇るチャンピオンばかりであったが、世界の厚い壁に跳ね返され続けた。一度だけ2001年に二着があったが、それ以外は大きく引き離された完敗が多かった。

そして迎えた2011年。今回もブエナビスタ号、ヴィクトワールピサ号、トランセンド号とG1レースを複数回勝っている日本のチャンピオン達がドバイに集結した。しかし下馬評は総じてあまり高くなく、今回も厳しい戦いを強いられると予想された中で、ヴィクトワールピサ号が優勝し、トランセンド号が二着に粘ってワンツーフィニッシュを決めた。ヴィクトワールピサに騎乗していたイタリア人のミルコ・デムーロという騎手がウィニングランの最中に日の丸を振り、馬主、調教師、応援団が陣取る一帯で大きな歓喜の声が上がった。その歓声はスタンド全体にも広がり、日本に暖かい拍手が送られた。

本来日本人の騎手が乗っていれば尚良かったかもしれないが、このデムーロという騎手は毎年のように来日していて、多少の日本語も話せる(という噂)人。2003年に外国人騎手として初めて日本のダービーに勝った人でもある。その時に乗っていた馬はネオユニヴァースという馬であったが、そのネオユニヴァースと北海道にいる牝馬の間に生まれたのが子馬が今回優勝を果たしたヴィクトワールピサ号である。この辺も結構ドラマだった。

競馬はどちらかと言えばマイナースポーツだろうが、これを皮切りに今後続くメジャースポーツのチームニッポンの活躍でもたくさんの明るいニュースが届くことを願っている。

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