2011年4月11日 (月)

ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(イタリア)

Ragusa1 1693年1月11日、イタリア半島南部からシチリア島東部にかけて巨大な地震が起き、それに伴って5~10mと推定される津波が起きた。当時の記録で正式な被害は不明だが、死者は10万人以上を数えたと言われている。

特に被害が大きかったのがシチリア島東南部で、全壊した町も少なくなかった。

Ragusa2 当時のイタリアは都市国家が乱立する時代で中央政府のような物はなく、復興も自分達で推し進めるしかなかった。生き残った人々は、町を一から築き直す為に立ち上がった。

日頃は一般市民と当時の貴族の距離はそれ程近くはなかったが、貴族も市民も復興に向けて一丸となった。元々この一帯は各々の時代に少しずつ建てられた古い建物が多かったが、全てを失ってしまったのを期に、当時ヨーロッパで流行していたバロック様式をふんだんに取り入れた建物を中心に新しい町を再建する事になった。(かつての町には耐震性の問題もあったのかもしれない)

Noto_town 復興にはおおよそ50年を要したが、人々の強い思いと新しい町への希望を支えに町の再建は成し遂げられた。シチリアの田舎の町がパリやローマのような当時のヨーロッパで最新の建築が並ぶ町に生まれ変わったのだから、当時としてはセンセーショナルであったようだ。

Catagna この時再建されたのはシチリア南東部に位置するノート、ラグーサ、カルタジローネ、カターニャ、モディカ、シクリ、パラッツォーロ・アクレイデ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニアの計8つの町。狭い地域にある町々が統一されたコンセプトの元で生まれ変わった事で、付近にあるヴァル・ディ・ノート(ノート渓谷)の名前を取ってヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々という呼称のもと、世界遺産にも登録された。今でもこの町並みは人々の誇りであり、調和の取れた建築が並ぶ町並みは美しい。何よりも打たれるのが、復興に努めた当時の人々の熱意と努力。

今日の日本には当時のシチリアにはなかった中央政府と世界各地からの義援金、そして現代の技術もある。前の形に戻すのか新しい形にするのか、どちらが良いか分からないが、一致団結して復興に取り組んでいけば、明るい未来が待っているはず。

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