2011年4月 5日 (火)

シギリヤ・ロック(スリランカ)

Sigiriya1 先週末スリランカの駐日大使カランナゴダ氏らが福島に飛び、避難所でカレーを振舞ったというニュースを見かけた。他国外交官の国外や関西への退避が進んでいた中で、この行動は光る。スリランカのカレーは元来日本人には少し辛めだが、子供や高齢者が多い事を踏まえて辛さ控えめのカレーを出すという心配りも。スリランカは元々良い人が多い国だが、この件で惚れ直した。

スリランカでは過去に象の孤児院ジェフリー・バワのホテルヌワラエリヤの紅茶の記事も書いた(こう考えると結構書いていた・・・)が、今日は満を持して、スリランカの最大のハイライトとも言えるシギリヤ・ロックを紹介したい。

Sigiriya2 シギリヤ・ロックは、スリランカのほぼ中央部に位置する岩である。単なる岩ではなく、地表から隆起した巨大な花崗岩であり、遠くからでもその姿を確認できる。標高は約200mだ。この岩は古代より仏教僧が修行の地として使っていたが、5世紀後半に実父を投獄(後に殺害)して王位に就いたカシャパ王によって一時的に首都に定められた。カシャパ王には皇太子であった弟モッガラーナもいたが、危険を察知したモッガラーナはなんとかスリランカを脱出し、父の仇を討つ機会を窺っていた。

Sigiriya3 父を殺害した罪と民の怨嗟の声、そしてモッガラーナの反撃を恐れたカシャパ王は猜疑心が深まり、シギリヤへの遷都を敢行する。天然の要害であるシギリヤロックは守るには適しており、麓に町を新設して首都にした。自身の宮殿は周囲を見渡すことが出来、招かれざる者の進入も容易でない岩の頂上部に建てた。寺院や病院を建設するなど人心の掌握にも努めたが、それもあまり実らず、王妃と孤独な時間をこの頂上部で過ごしたと言われている。そして、南インドで体勢を立て直した弟モッガラーナが攻め寄せるとカシャパ王の軍はあっさり敗退し、王は自決した。1500年前の物語である。

Sigiriya4 今日のシギリヤ・ロックもあの日のままニョキッと密林地帯の中から顔を覗かせている。カシャパ王亡き後はシギリヤは打ち捨てられたが、入口に掘られた巨大なライオン像の爪の部分(写真左上)は今も見られる。カシャパ王の宮殿を訪れる者は巨大なライオン像の足の間から体内を通らないと謁見できなかったのだ。怯えから来るある種の威嚇だったのかもしれない。そこから階段を1000段強上らなければならないので楽ではないが、ヘルパーのような人(チップ要)もいるので是非頑張ってほしい。頂上部にはカシャパ王の宮殿の跡、周囲の絶景、そしてシギリヤ・レディと呼ばれる鮮やかな壁画が残っている。頑張ったご褒美は少なくない。

Sigiriya5 シギリヤ・レディはカシャパ王の時代に描かれた壁画で、スリランカの仏教美術の代表的作品。孤独な王もこれらの壁画に祈り、救いを求め、魂の癒しを少しは得られただろうか。

シギリヤ・ロックのような名所を訪ね、象の孤児院で癒され、おいしい紅茶に舌鼓を打ち、素敵なデザイナーズホテルでゆっくり滞在。こんなスリランカの旅をすれば、今回のカランナゴダ大使を始めとしたスリランカの暖かい支援にきっと少しは恩返し出来るだろう・・・。

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