2011年5月26日 (木)

実在した黒ひげの伝説、カリブの海賊

English_port 最近あちらこちらで現在公開中の映画「パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン」の宣伝を見かける。どうやら今回の作品では、伝説の海賊黒ひげが登場するらしい。日本では名作おもちゃである黒ひげ危機一髪で御馴染みの海賊黒ひげだが、個人的には子供の頃読んだ本で刷り込まれた残忍な海賊としてのイメージが強い。今日はその黒ひげについて書いてみたい。

黒ひげの本名は、エドワード・ティーチ。1680年頃に英国の港町ブリストルで生まれたと言われている。この生地に関しては諸説あるが、新大陸航路の主要出発港の一つであったブリストルは伝説の海賊の生地としては申し分ないだろう。

Canons 成人した後は私掠船(ドレイク船長で有名な有事における政府公認の海賊)の船員として頭角を徐々に現し、政府の後ろ盾がなくなった後に正式な?海賊となる。18世紀初頭のカリブ一帯は海賊行為が横行しており、幾つかの島に拠点が置かれ、大西洋を渡る商船を襲った。商船側も防衛手段を講じたりしたが、当時の海に法はまだまだ及んでおらず、かろうじて要所の港に海賊や外敵に対する備えを築くので精一杯だった。当初は私掠船時代の名残でもっぱらの敵であったスペインの船を中心に襲ったと言われるが、海賊の師と仰いだホーニゴールドと決別した後は、のべつ構わず商船を襲った。無抵抗の船は積み荷だけを奪って人を殺める事はしなかったようだが、一度抵抗すると船に乗る者全員を処刑したという。アレキサンドロス(大王)の行軍を思い起こさせる。

Charleston エドワード・ティーチの名をカリブに巣食う海賊の一人から悪名高い黒ひげとして一躍世に知らしめたのが英国海軍船の撃退とチャールストン(米国)の封鎖だ。徐々に力を付けた黒ひげは多くの大砲を積んだ船団を形成するようになり、その巧みな海戦術で英国海軍の艦船を撃退したのだ。また、米国東岸南部の重要な港であったチャールストンに押し寄せ、港を封鎖した。船の乗員達も人質として船倉に閉じ込められた。黒船来航どころの騒ぎではなかったかもしれない。市民はこの時そのまま上陸して略奪の限りを尽くされるのではと恐れたようだが、専らの要求は薬の補充であったのでこの時は人質と引換えに薬品を提供した。

Blackbeard 一般的な海賊の一人として振舞っていた間は公権力もある程度その活動に目を瞑っていたが、さすがに黒ひげ程目立つようになると、取り締まらざるを得なくなった。黒ひげは一時的に恩赦に預かっていたが、その後も海賊行為を止めなかった為、ロバート・メイナード率いる海賊討伐隊に拠点のひとつであったオクラコーク島で追い詰められ、メイナードとの一騎討ちの末に死に、最後の艦船「クイーン・アンズ・リベンジ」号と共に海に沈められた(首のみ戦果として本土に持ち帰られた)。1718年の事である。

身の丈高く、ぼさぼさの黒ひげ、身に纏った多数の銃剣類と導火線のような髪型という黒ひげのイメージは以後も語り継がれ、数多くの小説、映画などのモデルになっている。そして近年カロライナ沖合いで黒ひげの船も発見され、今年の1月には黒ひげのものとも言われる剣も発見された。

残忍なイメージが強い黒ひげだが、東海岸の町では彼を英雄視する人もいる。ヴァージニア州のハンプトンという港町では、毎年黒ひげ海賊祭というお祭りも開催されている程だ。日本的な義賊と呼ぶには程遠い経歴のように思われるが、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」や日本でも「One Piece」と呼ばれる漫画が大ヒットしているように21世紀に入って人気は上向きとさえ言えるだろう。そういえばおもちゃの「黒ひげ危機一髪」も黒ひげを刺した人が負けである・・・。

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