2011年5月30日 (月)

ロンギヌスの槍(エチミアジン大聖堂、アルメニア)

Fra_angelico_longinus 中世のアーサー王、そして現代のダ・ヴィンチ・コードの物語を始め、キリストの聖遺物を代表する聖杯の謎は同時代に生きる人の興味を引いてきた。このブログでもその「聖杯」や「契約の箱」について紹介したが、今日はこの二つに勝るとも劣らない価値を持つと言われる「ロンギヌスの槍」について触れたい。

ロンギヌスの槍とは、キリストの磔刑後にその死を確認する為にローマ兵がキリストを突いた槍の事である。槍に飛び散った血は槍手ロンギヌスの白内障を治癒し、ロンギヌスは直後にキリスト教に改宗したと言われている。(右上の図はフィレンツェのサンマルコ修道院に描いたフラ・アンジェリコの壁画)

他の聖遺物同様、その後のロンギヌスの槍の行く末ははっきりとは分かっていない。聖十字架同様にコンスタンティヌス大帝の母へレナが発見してコンスタンティノープルに持ち帰られ、その後神聖ローマ帝国の手に渡ったという説が一番広まっている。ちなみにこの説に登場する槍は歴代の神聖ローマ帝国皇帝に代々継がれた。そして、ナポレオン戦争の時にフランス軍の手に渡るのを恐れてドイツからウィーンに移送され、現在もハプスブルクの王宮で展示されている。「ロンギヌスの槍を手にする者は世界を征服する」という伝説があるが、その伝説に思いを馳せながらこの槍を眺めていたのは、ウィーンで苦悩の日々を送っていた若き日のヒトラー。後にオーストリアを併合後、この槍をドイツに持ち去っている。(戦後オーストリアに返還)

しかし、この槍は21世紀に入って聖遺物にしては珍しく、専門家の鑑定を受けており、結果としては7世紀頃の物であろうと結論付けられている。但し、この槍の本物はナチスの残党が南米や南極に隠したという都市伝説もある。

Echmiadzin_church_2さて、前置きが長くなったが、今日の本題であるもう一つの「ロンギヌスの槍」は、コーカサス地方の静かなキリスト教国アルメニアにある。この槍の経路は不透明な部分が多いが、13世紀から首都エレヴァン郊外のエチミアジン大聖堂に収められているようである。アルメニアはこの一帯では最も古い国で、キリストの時代には既に国家として繁栄していた。古代ローマ帝国にさきがけて301年に世界で初めてキリスト教を国教として採用したのもアルメニアである。この事はアルメニア人の誇りでもあり、敬虔な教徒が多い。

エチミアジン大聖堂 ローマよりは聖地(エルサレム)にも近く、早い段階からキリスト教が容認されていたという事で、この地に聖遺物が運び込まれたと考えるとしても不思議ではない。

大聖堂に付属する宝物庫内で中世に加えられたケースの中でロンギヌスの槍が展示されている。槍にしては刃が大き過ぎるとか、十字が刻まれているのは何故かなど、多少の事には目を瞑って見るようにしよう。アルメニア人はユダヤ人と同じようなディアスポラ(民族離散)の憂き目に合っており、エチミアジン大聖堂は嘆きの壁(エルサレムの神殿)と同じように民族の心の拠り所の一つとして信仰を受け続けているアルメニア人にとっては大切な場所。ロンギヌスの槍が科学的に正しいかどうかより、宗教的に信じるかどうかの問題だろう。

Echmiadzin_church_noahs_arc ちなみにアルメニア西方にはノアの方舟が流れ着いたとされるアララト山が聳えているが、かの地から発見された方舟の木片が埋め込まれた聖遺物もこの大聖堂宝物庫に展示されている。これでエチミアジンの大聖堂には、旧約聖書と新約聖書双方の重要な聖遺物が収められている事になる。こちらの聖遺物もこの地に至った経路は不明だが、聖堂内で一心に祈っているアルメニア人達の姿を見ていると、そんな事はどうでもいいという事が分かる。

考古学的な発見には胸が躍るが、謎は謎のままでも良いという物もある。積み重ねられて来た巡礼と信仰はそれ自体が歴史とも言えるだろう。ロンギヌスの槍の行方には興味があるが、エチミアジンを訪れるとそんな興味はどうでも良くなる・・・。

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