2011年8月24日 (水)

トリポリ(リビア)

Tripoli1 昨日リビアの反政府派が首都トリポリをほぼ掌握したというニュースが流れた。もちろん旅行会社社員として早くツアーをやりたいという気持ちもあるが、個人的にもリビアで出会った人々の安否を考えると、これを機に出来る限りの早期終結を切に願う。

ニュースで懐かしいトリポリの映像が流れていたので、今日はリビアの首都トリポリにふれてみたい。

Tripoli2 トリポリというアラビア語らしくない名前は、紀元前にフェニキア人達が現在のトリポリ一帯に築いた3つの都市(現在のトリポリと西のサブラタ、東のレプティス・マグナ)に由来する。「トリ」は数字の3を差し、ポリはポリス(つまり都市)の意である。3つの都市の総称がいつしか地域名になり、他の二都市が廃れた為にやがてトリポリ一都市のみを指すようになった。

フェニキアとその後のローマ時代を通じてトリポリはそこその都市であったものの、リビア一帯の主役は現在同国東部のキュレーネや3つの都市の一つレプティス・マグナであった。しかしローマ帝国崩壊後はキュレーネもレプティス・マグナもやがて打ち棄てられ、トリポリが地域の中心都市として成長を始める。リビアはその後も長らく周囲の諸勢力に翻弄される歴史を重ねて行き、1951年に待望の独立を果たし、トリポリが首都に定められる。

Tripoli7 現在のトリポリの町は大きくは旧市街と新市街に分かれる。旧市街には古代ローマ時代の名残であるマルクス・アウレリアス帝の凱旋門(写真左上)を始め、アラブらしいスーク(商店街。写真右)やモスク(写真左下)、賑やかな市場などが広がっている。

Tripoli3 現在の旧市街は古代の町の上に築かれているが、専ら現在残っている町並みはオスマン朝が支配した中世以降に建てられている。だからどこかイスタンブールの面影も感じずにはいられない。

Tripoli6 リビアは世界有数の産油国なので国民は比較的豊かである。一方で保守的な気風も強く、昔ながらの暮らしを守って生きている人も少なくない。1980年代~1990年代にかけての経済制裁の影響で欧米型資本はほとんど入っておらず、トリポリにも湾岸諸国のように巨大なビルがひしめく摩天楼のような物はない。旧市街にはあくまで地に足のついた生活が育まれていた。

Tripoli55 育まれていたとしたのは、21世紀に入ってからカダフィ政権が欧米に対して一定の歩み寄りを見せ、海外からの投資や市場参入の扉も少し開いてからトリポリも変わりつつあるようだ。恐らく海外の人と接する機会があるからだと思うが、現地で一緒に周るガイドさんやバスの運転手などは結構欧米文化にも明るい。今回の反政府の流れもfacebookやtwitterなどのソーシャルメディアから生まれたように、インターネットの普及で急激に変わっていっている。

Tripoli8 新市街を中心に近未来的な建物も登場し始めたトリポリは今後もきっと変わって行くのだろう。カダフィ大佐の時代は終わりそうな気配だが、その時代の改善すべきところは改善しつつも古き良き時代の名残は留めておいて欲しいと思うのは欲張りだろうか。派手な見所こそないが、他にはあまりない古き良き都市という記憶の面影は失って欲しくない・・・。

|

アフリカツアー」カテゴリの記事

ユーラシア旅行社社員のつぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。