2011年9月13日 (火)

カラカラ帝

Caracalla_statue 先月後半から急展開したリビア情勢もそろそろ次のステップを迎えそうな状況だ。今後も試練は続くが、隣国チュニジアに続いてツアーを再び再開できる日が待ち遠しい。

さて、今日はそのリビア出身のファミリーに連なり、古代ローマの暴君として知られるネロ帝に勝るとも劣らぬ悪名も付けられたカラカラ帝を紹介したい。一般的にはローマ南部の巨大な浴場の建築主としてしかあまり知られていないが、弟殺しから重税、市民虐殺まで叩けば色々出て来る。熱心なアレクサンドロス(大王)の信奉者としても知られ、もっぱらアレキサンドリアにあったアレクサンドロスの墓(その後墓は歴史から姿を消した)を参拝した最後の人とされている。

Sevirus_family 古代ローマ帝国の絶頂期であった紀元後2世紀、五賢帝の時代に繁栄を謳歌した帝国は3世紀に入ると衰退の兆しを見せ始める。混乱が蔓延し始める中で一旦その流れを食い止めたのがカラカラの父セプティムス・セヴェルスであった。

セプティムス・セヴェルスはリビア出身の軍人で、皇帝が相次いで暗殺や戦士する中でよく軍をまとめてライバルを倒し、帝位まで上り詰めた。シリアの名門出身のユリア・ドムナと結婚し、カラカラとゲタという二人の男子にも恵まれた。ユリア・ドムナは当時のローマにあっては珍しく夫の軍事遠征にも同行する程気丈な人であったがセヴェルスも喜んで帯同させ、妻をよく愛したという。

Caracalla_terme 子供たちも両親の愛に恵まれて育ったが、万事うまく運ぶ訳ではない。カラカラとゲタの兄弟は仲が悪く、父が亡くなると共同皇帝として共に帝位につくものの、兄カラカラは弟ゲタを近衛隊に暗殺させた。セヴェルス家の繁栄を祝って各地には一家のコインや彫刻装飾が多数あったが、暗殺しただけでも気が収まらないカラカラはあらゆるゲタの肖像を削除させた。左上の写真もその一つで、左下のゲタの部分が削られている。

Caracalla_arcこうして権力を手中に収めたカラカラは様々な改革も行ったが、気が短く、アレクサンドリアでの市民虐殺を始め、暴政と呼ばれても仕方のない行動を取ることも少なからずあったようだ。

その治世の間には、世紀の大工事にも取り掛かった。そう、ローマ南部の大浴場建設だ。市民の人気を取ることと、自身の名を冠した建物を残す事が目的であった事が想像できる。最終的に暗殺されて暴君としての悪名が残ったように人気取りという目的はあまり果たせなかったようだが、自身の名を残すという意味では大成功と言えるだろう。ちなみに主浴場は二千人もの人を一度に収容できたと言われ、現代の温泉ランドにも引けを取らない。

カラカラが暗殺されて間もなく、リビア出身のセヴェルス家による帝国統治は終わりを告げ、帝国はより一層傾いていく。カダフィ大佐は政権を追われたが、ただ政敵を廃するだけでは国は救われない。その後が大事である。もちろん火種を抱えたくない気持ちもあるだろうが、将来への確たる一歩が踏み出される事を期待したい。

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