アコー(イスラエル)
先日十字軍と戦ったアラブの英雄サラディンについて紹介したが、今回は十字軍の重要な拠点であったアコー(アッコン)に触れてみたい。
現在のイスラエルは聖書ゆかりのエルサレム、ベツレヘムやガリラヤ湖、ユダヤ人達が玉砕したマサダの要塞、そして死海が有名だが、歴史的にはアコーも決して見逃せない都市だ。
良港としての地理的特性を備えたアコーは紀元前から港町として発展を始めた。エジプトやギリシャの文献、旧約聖書にもその名が登場する。しかし、アコーがこの地方において確たる重要性を持つのは中世において十字軍がこの地方に来た時代である。第一回十字軍が1104年にこの町にやってきてから約180年の間アコーの町は十字軍の最重要拠点として大きく発展した。町は東地中海において最も賑やかな港町の地位まで上り、貿易を通じて莫大な富がもたらされたと言われている。エルサレムが陥落してレヴァント地方(現在のシリア、ヨルダン、イスラエル、レバノン辺り)における十字軍の勢力が弱まった後でも最後の拠点として依然その繁栄を続けた。その後一時町は衰退するものの、オスマン朝時代に再び町は整備され、今日まで至っている。
現在のアコーは依然港町として賑わいが続く。町の大半はオスマン朝時代に再整備されたものだが、十字軍の拠点だった時代の面影はところどころに残っている。中でも聖ヨハネ騎士団が根拠にしていた要塞跡の保存状態は比較的よく、当時の姿を偲ばせてくれる。聖ヨハネ騎士団には色々な伝説も付いて回るが、アコーのこの要塞は騎士団の原点の一つでもある。
旧市街は概ねトルコ風の趣きだが、聖ヨハネ騎士団が後に転戦して根拠としたロードス島(ギリシャ)やマルタ島でも見られる重厚な騎士団風の町並みもところどころ見かける。勝手なイメージだが、左の写真のような狭い道にアーチ状のトンネルがかかっていると、「ああヨハネ騎士団(及びに十字軍)がいたんだなぁと感慨深く振り返らずにはいられない。
1291年、アコーが陥落してヨーロッパ勢力のレヴァント地方における領土は消滅し、約200年に渡った十字軍運動は終りを告げた。一つの時代が終り、新しい時代が幕開けた場所として、アコーは記憶すべき場所である。
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