2014年5月 3日 (土)

ベルリンの壁崩壊から25年、現地レポート第1回 -ベルリンの壁の道を辿る-

ベルリンの壁を利用したイーストサイドギャラリー

 先日、春を迎えたドイツの首都ベルリンを訪れました。西ベルリンの繁華街クーダムには、東京でも見かけるH&MやZARAといった世界的ファストファッションブランドの店が並び、東ベルリンでもスターバックスコーヒーやLUSHといった世界チェーンを目にし、ヨーロッパの現代都市の姿に変わってきていることを感じました。その一方で、プロイセン王国時代の建物や社会主義時代の建物が残る地区があったり、ベルリンの壁が残っていたりと、近代の歴史の跡を色濃く残すベルリンの姿がありました。

  1989年11月9日東西ドイツを隔ててきた壁が遂に崩壊。壁の上に人々があがり、歓喜するニュースが世界中に流れてから、2014年で25年を迎えます。第二次世界大戦後、1949年にドイツが東西に分かれると、ベルリンの街も東西に分断され、東西それぞれの国の領土となりました。東西冷戦下で、東西の経済格差が広がると、東から西側への移住者が急増。働き手となる若い世代の流出が国家の一大事となった東ドイツは、1961年8月に西ベルリンを取り囲む壁の構築を開始、逃亡者は射殺という強硬手段が取られるようになりました。その状況は日本がバブルに沸いていた1980年代まで続いていたのです。

ポツダム広場のベルリンの壁

 今では観光名所となったイーストサイドギャラリー。壁に世界各国のアーティストが描いた絵の中でも有名なのが「ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー書記長のの兄弟のキス」。これは実際のシーンを描いたもので、壁博物館に写真が展示されています。案内してくれた東ベルリン出身のガイドによると「社会主義時代はテレビのニュースで政治家同士の挨拶のキスシーンがよく流れていました。」とのことで、社会主義の指導者のお決まりの挨拶だったようです。絵が描かれた壁の向こうには、東西ドイツ時代には東ドイツ領で、西を目指し犠牲となった人もいたシュプレー川がゆったりと流れていました。

 その後、バスでかつての検問所チェックポイントチャーリーへ。近くには壁博物館があり、

東ベルリン時代を象徴するテレビ塔

壁を越えた人々の様子や払われた犠牲などについて展示されていて、当時の生々しい様子を伝えていました。チェックポイントチャーリーから道路に記された壁の跡を記す敷石を辿り、壁の道を辿って西へ向かいました。途中、ナチス時代の展示があるテロのトポグラフィー前に残る壁を見ながらポツダム広場へ。ポツダム広場に近くなると、壁の道の上には壁の存在を打ち消すかのように再開発で建てられたビルが聳え立っていました。ビルの間を抜けポツダム広場に出ると、壁のあった場所に壁が展示され、近代的なビルの谷間に記念碑のように並んでいました。壁の背後のビルに掲げられたiPhoneの広告が、時代の流れを強く感じさせました。
 私が初めてベルリンを訪れたのは、壁崩壊から9年後の1997年。ベルリンの壁を観光地と捉える感覚はまだありませんでした。壁崩壊後生まれの世代が大人になり、親となる時代となった現在、「壁」の記憶は触れられたくない過去ではなく、多くの人へ語り継ぐべき歴史という意識に変わってきたことをベルリン各所の展示やガイドの語りから感じました。25周年の壁崩壊記念日となる2014年11月9日にはライトアップや人間の鎖のイベントが企画され、歴史に残る記念日を迎える準備が進められていました。激動の歴史を経てきたベルリンは、過去を忘れぬよう街の各所に刻みつつ、新たな時代へと向かっていることを肌で感じる旅でした。(太田)

★ユーラシア旅行社のドイツツアー(ベルリン市内観光を含むツアー)では、ベルリン観光中にベルリンの壁の道ウォーキングに(約30分)ご案内します。


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