2015年1月22日 (木)

リスボン その復興と再生

先日、1月17日は阪神淡路大震災から20年、ということでいろいろなところで、改めて震災の恐ろしさ、や備えについて考えさせられるイベントや特集が組まれたところも多くありました。

地震は日本だけのものではありません。
例えば古代のローマ遺跡なども地震で破壊されてしまったものがあり、大地を乗っけている巨大なプレートの生み出す途方もない力に人は無力です。

今でこそ、地震は自然災害として認識されておりますが、過去には「神の天罰」と考えられていたこともありました。

その考えが誤りであり、自然がもたらすものだという新しい「学問」は実は18世紀のリスボン大地震で誕生し発展したのだそうです。

1755年11月1日午前9時40分、リスボンは未曽有の災害に見舞われます。そう、大地震です。マグニチュード8.5、西ヨーロッパ全体が揺れたともいわれましたが、その中心がまさにリスボンでした。

多くの建物が倒壊し、混乱した街並みと人々を容赦なく津波が襲い亡くなった1万人の方を含め、約5-6万人が亡くなったといわれます。
まさに一国の首都が一瞬にして壊滅した瞬間でした。
この時間は教会でミサを挙げているところも多く、教会が崩れて亡くなった方も多かったようです。

奇跡的に、この日遠出をするために早朝のミサのみで郊外に出ていた国王一家は無事でした。
街が壊滅し、宮殿も崩れ、国王は仮設テント宮殿で執政を行ったそうです。

そんな壊滅したリスボンの街を復興させたのが、のちにボンバル侯爵に叙された宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョだったそうです。
天然の良港をもつリスボンを、別の場所へ移転させるわけにいかず、この地に、新しい街を作り上げました。碁盤の目のような通りは大通りが作られ、もし火事になっても反対側の建物に火が移らないように、地震で簡単に崩れないように木材を組み合わせた耐震構造の建物、ボンバル様式を作り上げたり、この構造が揺れに強うか確かめるために模型を作り、兵士たちを力いっぱい行進させて揺れを作ったり、宰相自ら復興に力を注ぎました。

リスボンは最初にモデルとしてつくられた下街から徐々に現在の美しく風情のある町へ生まれ変わりました。

この時に、神の怒りだと嘆いた人も多かったのですが、当時「地震が神の怒りであるものか、リスボンに住む子供にいったいどんな罪があったというのだ」と憤った人物がいました。
フランスの哲学者ヴォルテールです。

聖職者やいろいろな立場の人々がこの地震がどのような現象なのかを解明しようとしました。
「神の怒り」という意見以上にこの未曽有の災害を科学的に分析し、その原因を探ろうとする考えが発展し、「地震学」が生まれたのだそうです。

ドイツの哲学者カントは様々な地震に関する著作を残しました。
今では地震学と哲学はなんだかすごく違う研究のようにおもえますが、哲学者たちが事象を解明しようと思考しなければ、今のような地震学には発展しなかったかもしれません。

リスボンの街並み



さて、生まれ変わったリスボンの街はかつての海洋王国としての豊かさは失ったかもしれませんが、新たに来るかもしれない災害から国民を守ろうとした、国家のプロジェクトの素晴らしさを、その街並み見ることが出来るでしょう。

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