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2016年6月

2016年6月30日 (木)

2016~2017年パタゴニアパンフレット完成しました!

パイネ国立公園のペオエホテル

添乗をしていると、お客様にどの方面のツアーがお勧め??と必ず毎回聞かれます。そんなときに、ユーラシア旅行社の多くの添乗員が、挙げるのがパタゴニア!です。

世界中を見てきた添乗員にとっても、その大自然の素晴らしさは特筆すべきもの!どの国の氷河よりも美しい煌めく氷河群や、アルプスやヒマラヤに匹敵するような美しい山々、そして、思わず深呼吸したくなるような、パタゴニアならではの清々しい空気と、どこまでも原野が広がる雄大な風景…。
ユーラシア旅行社のパタゴニアツアーでは、毎年多くのお客様をパタゴニアにお送りし、観光重視のツアー内容、また上の写真にある、パイネ国立公園のペオエホテルに宿泊等、こだわりの詰まった豊富なラインナップをご用意しています。
地球の裏側まで遥々と足を延ばした苦労も吹き飛ぶパタゴニアの旅へ!今年こそ出掛けてみませんか。

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2016年6月23日 (木)

サハリンに『銀河鉄道の夜』を訪ねて

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日本時代の展示/サハリン州立博物館にて

北海道の北にある島、樺太、現在はサハリンと呼ばれロシア領だが、かつて何度かに渡って、日本の統治下にあった。

1854年(安政元年)日露和親条約が締結された。それまで領有が曖昧だった樺太(サハリン)の国境を定めようと試みたが「これまでの慣習のまま」となった。即ち曖昧。1867年(慶応3年)に日露間樺太島仮規則を定めたが別名樺太雑居条約というくらいで結局国境は定めなかった。条約には「樺太島に於いて両国人は睦しく誠意に交際する」なんて、なかなか微笑ましい内容が書かれている。
1875年(明治8年)5月7日千島樺太交換条約。1905年(明治38年)9月5日日露戦争後のポーツマス条約締結により、北緯50度以南の樺太島(南樺太)がロシアより日本へ割譲される
領有はしたものの、この北の大地よりも更に北の大地をどうすればいいか途方にくれた。千島と樺太を交換したのは、正直、原生林よりも鮭鱒蟹がたんまりとれるオホーツク海の方が魅力があったのだろう。
原生林に目をつけたのは製紙会社であった。針葉樹から良質の洋紙を作ることが出来る。こうして、製紙工場が樺太に建てられ、そして、木材運搬の為に鉄道が敷かれた。

1923年(大正12年)8月2日、詩人・作家の宮沢賢治が、樺太を訪れる。大泊(コルサコフ)に上陸し、栄浜(スタロドゥプスコエ)に向かう。帰路、豊原(ユジノサハリンスク)に立ち寄る。
表向きの理由は出張。農学校の教師であった宮沢賢治が教え子の就職を依頼しに、樺太の製紙会社に勤務している先輩を訪ねるということであった。実際は前年11月に亡くなった妹の傷心旅行というのが定説である。
7月31日21時59分花巻駅を出発、8月3日午前7時30分樺太の大泊港に到着した。
ここで出張の用事は終え(たった半日じゃないか!)13時10分大泊駅から樺太鉄道に乗り18時20分終点栄浜駅着した。
栄浜駅は当時日本領最北端。これが宮沢賢治が訪れた理由である。ちなみに稚泊連絡船が就航したのは5月。賢治は出来たてほやほやの連絡船に乗って行った。
現地では栄浜の海岸を散策して「オホーツク挽歌」、「樺太鉄道」をスケッチ、途中、鈴谷平原(現ユジノサハリンスク郊外)もスケッチしている。
8月12日花巻に到着。1924年(大正13年)から『銀河鉄道の夜』の執筆が始まった。

最後に、宮沢賢治の名誉の為に一つ。旅費は賢治が自前で負担したそうである。

サハリンへの旅は↓
サハリン大縦断と銀河鉄道の旅  8日間 ETS8

日本時代の蒸気機関車D-51/コルサコフ駅にて(c)Rob Dickinson

写真は未だに活躍する日本時代の蒸気機関車D-51/コルサコフ駅にて(c)Rob Dickinson

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2016年6月16日 (木)

『桜の園』、そしてサハリン

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アレクサンドロフスク・サハリンスキーのチェーホフが滞在した家。
現在は「チェーホフとサハリン歴史・文学博物館」

『1Q84』という変わった名前の小説がある。かの村上春樹の作品である。その中で主人公の川奈天吾が朗読する小説が『サハリン島』である。『サハリン島』はアントン・チェーホフによるサハリンへの旅行記録である。
チェーホフは実際サハリンへ行った。このサハリンへの旅を綴った『シベリアの旅』と『サハリン島』は現在のルポルタージュの原形と言えよう。
1890年4月、チェーホフはモスクワを出発した。「あー、ヤロスラブリ駅ね」と思うのは相当のロシア通だが、残念ながらハズレ。1891年にチェリャビンスクからオビにて建設を開始したのがシベリア鉄道の始まり。1901年に漸くバイカル湖畔に達した。
だから、チェーホフは、シベリアの殆どをなんと「馬車」で移動した。今でさえ、世界最強の6輪駆動車「カマズ」で走るシベリアの大地を「馬車」。何度も作り直した。『シベリアの旅』はこのシベリア横断の記録である。

1890年7月、チェーホフはサハリン島に上陸。3ヶ月かけての旅だった。当時、サハリンは流刑の地だった。収容所というとソビエトのもののように思われがちだが帝政ロシア時代から存在した。チェーホフのサハリン訪問の真の目的は実は囚人の調査だったが、囚人のみならず原住民のアイヌやニヴフの人々も調査した。『サハリン島』は現地調査の記録である。

チェーホフは約3ヶ月サハリンに滞在した。本当は日本へ行きたかったようだが、当時日本はコレラが蔓延し渡航を断念した。復路はウラジオストクからスエズ運河を経由しオデッサへと戻った。モスクワに戻ったのは1890年12月。

チェーホフの最後の作品は『桜の園』。なぜ、桜なのか、大いに謎だ。メーリホヴォのチェーホフ邸にはサクランボが植わっているからそれか?いや『桜の園』はヤルタの別荘で執筆された。別荘の庭にはたくさんの木が植えられている。何故か日本から取り寄せた木々もあった。桜もその1本である。叶わぬ日本への想いが「桜」になったのかもしれない。(上野)

サハリンへの旅は↓
サハリン大縦断と銀河鉄道の旅  8日間 ETS8

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2016年6月 9日 (木)

ダライ・ラマ法王のお膝元、ダラムシャラ(インド)

ダラムシャラの町並み=

6月に入り、関東以東では続々と梅雨入り宣言が出されましたね。
私のご近所でも、雨に映える紫陽花の花がいよいよ美しい色を
見せてくれる季節となって参りました。
 
 
さて、先月のことですが、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王が来日し、大阪で4日間に渡る法話を説かれ、話題になりました。
その後もアメリカの各州にてご講演の予定が決まっているなど
お忙しいダライ・ラマ氏。直接お目にかかるのは難しいものですが、
そのお膝元を訪ねてみるのはいかがでしょうか?
 
ご存知の通り、現在、ダライ・ラマ氏の邸宅が構えられているのは
インド・ダラムシャラの地です。中国によるチベットへの圧政が強ま
り、人民解放軍による侵攻と混乱の中で亡命を余儀なくされたのが
1959年のこと。インド側の協力を得てダラムシャラに樹立された
亡命政府の歴史は50年余りのものではありますが、チベットの人々
にとって、この地は第二の故郷とも呼べる程に大切な場所なのだといいます。
チベット本土では、未だに中国政府による監視の目が厳しく、学校の
教育も中国の方針に沿ったもの。ダライ・ラマ氏の写真を所持することさえも規制されている実情があります。しかしながら、ダラムシャラを歩くと、町の至る所にダライ・ラマ氏の肖像画が飾られ、人々は
自由に信仰と文化を守り続けています。“チベットよりもチベットらしい”と表現されることも納得。今日において、生き生きとしたチベット文化を見ることができる数少ない場所の一つなのです。未だにこの地を目指して亡命する人々は絶えず、教育を受けさせるために子どもを送る親御さんも多いのだそうです。
 
ダラムシャラを訪れるのであれば、個人的にお勧めしたい場所が
「チベット博物館」。規模は小さいながら、ダライ・ラマ氏と多くの
チベット人が亡命を選んだ経緯や、中国政府によって破壊されて
しまった仏像の様子などがよく展示されています。チベット本土に
おいては、中国の規制によって、とても目にすることができない
ような資料でしょう。根深いチベット問題を考える為に、大変参考に
なる場所だと思っています。
 
ダライ・ラマ氏も御年80歳。近年は引退や後継の問題についても言
を発する機会が増えました。その時はダラムシャラがどうなるのか、
世界に散らばるチベット難民の人々がどうなるのか、予測はつきませんが、必ずやチベットの在り方が大きく変わる重要な節目となるでしょう。今は、じっくりとチベット文化圏を訪れる良い機会なのかもしれません。(影山)
 
【関連ツアー】

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2016年6月 2日 (木)

愛しのゴリラ♥

可愛すぎるゴリラその1

朝の通勤時間の混み具合が増している。その事実を受け入れると一気に疲れそうな気がして気づかぬふりをしていたが、近隣に新しいマンションが次から次へと出来ている事から人口が増えていることは明らかだ。約1時間半の通勤時間。立っているのはどうって事ないにしても、本も読めないほどのすし詰め状態。雨の日なんかは本当に地獄だ。しかし会社の仕事が始まる前にこれではいけない。。。

可愛すぎるゴリラその2
会社の(私の)パソコンを立ち上げると目に優しい緑のジャングルが飛び込んでくる。そしてその中央にどっしりと座っているのが何を隠そう我が愛しのゴリラ。ころっころ丸々とした体
につぶらな瞳にやられる。「今日も一日頑張ろう!」エネルギーチャージ完了。
可愛すぎるゴリラその3
この愛しのゴリラは私にとって最大の癒しのゴリラでもあるのです。なぜこんなにもゴリラの虜となったのかと言えば、それは添乗でウガンダやルワンダに行きゴリラ達に出会ってしまったことから始まりました。“一目惚れ”まさにこの言葉がぴったりな出会いだったのです。厳つい体で胸を叩いて相手を威嚇。凶暴と思われがちなゴリラですが、本当はとてもおとなしく心優しい平和主義者。そんな話を現地でレンジャーから聞きながら実際ゴリラ達に出会うと、不思議とその温かい空気感は伝わってくるもので、そのぬくもりの中に自分も入りたい家族の一員になりたい!そんな事さえ思えてくるのです。内戦や密猟の被害に遭いながらも家族を増やし森で生きてきたゴリラ。人間よりずっと平和を愛しているように感じてなりません。
今頃はムシャムシャご飯食べているのかな?ごろーんと仰向けで寝ているかしら?
そんな事をふと考えたりして、何か疲れを感じたら是非ゴリラ。皆様もこの写真で癒されてください。(岩間)

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