2016年6月16日 (木)

『桜の園』、そしてサハリン

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アレクサンドロフスク・サハリンスキーのチェーホフが滞在した家。
現在は「チェーホフとサハリン歴史・文学博物館」

『1Q84』という変わった名前の小説がある。かの村上春樹の作品である。その中で主人公の川奈天吾が朗読する小説が『サハリン島』である。『サハリン島』はアントン・チェーホフによるサハリンへの旅行記録である。
チェーホフは実際サハリンへ行った。このサハリンへの旅を綴った『シベリアの旅』と『サハリン島』は現在のルポルタージュの原形と言えよう。
1890年4月、チェーホフはモスクワを出発した。「あー、ヤロスラブリ駅ね」と思うのは相当のロシア通だが、残念ながらハズレ。1891年にチェリャビンスクからオビにて建設を開始したのがシベリア鉄道の始まり。1901年に漸くバイカル湖畔に達した。
だから、チェーホフは、シベリアの殆どをなんと「馬車」で移動した。今でさえ、世界最強の6輪駆動車「カマズ」で走るシベリアの大地を「馬車」。何度も作り直した。『シベリアの旅』はこのシベリア横断の記録である。

1890年7月、チェーホフはサハリン島に上陸。3ヶ月かけての旅だった。当時、サハリンは流刑の地だった。収容所というとソビエトのもののように思われがちだが帝政ロシア時代から存在した。チェーホフのサハリン訪問の真の目的は実は囚人の調査だったが、囚人のみならず原住民のアイヌやニヴフの人々も調査した。『サハリン島』は現地調査の記録である。

チェーホフは約3ヶ月サハリンに滞在した。本当は日本へ行きたかったようだが、当時日本はコレラが蔓延し渡航を断念した。復路はウラジオストクからスエズ運河を経由しオデッサへと戻った。モスクワに戻ったのは1890年12月。

チェーホフの最後の作品は『桜の園』。なぜ、桜なのか、大いに謎だ。メーリホヴォのチェーホフ邸にはサクランボが植わっているからそれか?いや『桜の園』はヤルタの別荘で執筆された。別荘の庭にはたくさんの木が植えられている。何故か日本から取り寄せた木々もあった。桜もその1本である。叶わぬ日本への想いが「桜」になったのかもしれない。(上野)

サハリンへの旅は↓
サハリン大縦断と銀河鉄道の旅  8日間 ETS8

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