極東ロシア視察団旅日記(7)ウオッカ編その2
11月1日から5日まで日本旅行業協会会長、国土交通省、観光庁、旅行業界の皆様方と「極東ロシア視察団」へ参加しました。
今日は「ウォッカ」のお話の続き。本来シベリア鉄道のお話の予定だったのですが急遽脱線。いきなりウオッカの話になり、そして、それが続いています。
「極東ロシア視察団旅日記(6)ウオッカ編」
そこで、「モスコーミュール、ソルティードッグ、スクリュードライバーやブラッディメアリーはストリチナヤで作るのがクラシックなレシピです。」と表記したところ、「スミノフ」はどうなるのか、「モスコーミュールはスミノフで作るのが正しいのでは」とお問い合わせを頂戴しました。
ご存じの通り、この世界的なウォッカ「スミノフ」はアメリカのブランドです。ラムの「バカルディ」と並び、世界で最も売れている蒸留酒(スピリッツ)です。
1870年モスクワにてピョートル・アルセニエヴィチ・スミルノフがウォッカの木炭濾過法を発明しました。今日、ウォッカと呼ばれるものです。1886年には、ロシア皇室御用達となりました。アレクサンドル3世の時です。アレクサンドル3世はシベリア鉄道の着工をした皇帝ですね。
1917年のロシア革命二代目のウラジミール・ペトロヴィチ・スミルノフはパリへ亡命。パリは当時ロシア亡命貴族の中心地です。(現在でもロシア貴族協会の本部はパリにあります。)スミルノフはパリで販売を開始しました。ちなみに蒸留所はイスタンブール、後にウクライナのリヴィウに移動、後にパリへ。この時の販売ブランドがSmirnoff=スミノフとなり、これが世界ブランドへとなります。
1933年ニューヨーク在住の亡命ロシア人ルドルフ・クネット(Rudolph Kunett)がパリのスミルノフの元を訪れます。クネットは実はモスクワ時代にスミルノフへ原材料を卸していた穀物商でした。クネットは新大陸でのスミノフの製造権と販売権を得ます。クネットはの販売はあまり好調とは言えず、1939年にワイルドターキーの製造元ヒューブラインに経営権が移ります。
長くなったので今日はここまでです。
前回のお話はこちら↓
極東ロシア視察団旅日記(1)「はちみつとキムチ」はちみつ編
極東ロシア視察団旅日記(2)「はちみつとキムチ」キムチ編
極東ロシア視察団旅日記(3)「武士道」
極東ロシア視察団旅日記(4)「アムール川」
極東ロシア視察団旅日記(5)鉄道編「食堂車」
極東ロシア視察団旅日記(6)ウオッカ編その1
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