« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月

2017年4月27日 (木)

日本の中の英国、ブリティッシュ・ヒルズを訪れました

ブリティッシュヒルズの敷地内はまさにイギリスのカントリーサイド


 先日、英国滞在体験のできる福島のブリティッシュ・ヒルズを訪れました。山間にある敷地内の風景はまさに英国のカントリーサイド。コッツウォルズや湖水地方を訪れた際の記憶がよみがえりました。メインの建物は中世のマナーハウス(荘園領主の館)を再現。ラウンジや図書室は某人気ドラマの世界に迷い込んだようでした。敷地内の公用語は英語で、英語を母国語とする外国人スタッフがお出迎え。チェックインやレストランでの注文も英語でチャレンジできます。もちろん、日本人スタッフもいますので、英語が苦手な方も問題ありません。

 元々、英国文化も体感できる語学研修施設としてスタートしたとのこと。英国旅行の予復習や海外まで行く時間がないという方がほんの束の間の異国体験をするにはもってこいの場所です。アフタヌーンティーを楽しめるティールームやパブもあり、英国滞在気分を満喫できました。(太田)

ブリティッシュヒルズの図書室

| | コメント (0)

2017年4月20日 (木)

建築で理想の学校に貢献する ~F・L・ライトが建てた自由学園明日館~

先日、弊社イベントで明日館見学を行いました。館内の職員の方の解説を聞きながら、約1時間かけて建物を外から中からじっくり見学しました。
自由学園明日館(みょうにちかん)は、人で溢れる池袋駅からほんの少しのところ、静かな住宅街の中に建っていて、平屋の小さなものながら不思議な上品さを備えています。

自由学園明日館

明日館は、1921年に羽仁吉一・もと子夫妻が設立した自由学園の校舎として建てられました。
設計者はアメリカが生んだ巨匠、フランク・ロイド・ライト。当時、旧帝国ホテルの建設のために招かれていた彼は、こらからの日本は女性も教育を受け自立する力を身につけるべきという夫妻の教育理念に感銘を受け、多忙なホテル建設の合間を見て校舎の建設に当たったといいます。
残念ながら彼は校舎の完成を待たず帰国を命じられますが、夫妻と巨匠を引き合わせた遠藤新によって完成された明日館には、ライトの建築の初期の特徴がよく表れています。
それは、自然と一体となるよう、地を這うように低く安定したデザイン。アメリカの大草原を思わせるこの様式は「プレーリー様式」と呼ばれ、低い屋根や深い庇、窓を連続して設け、水平性を強調することで大地との一体感を強調します。
両側の教室棟の中央に、ホールと中二階の食堂が設けられていますが、外観はあまり高さを感じません。内部も余計な柱などが取り除かれ、ゆったりとした空間が広がります。
私が気に入ったのは建物の顔となるホールの窓。ステンドグラスのようにもみえる幾何学模様は、実は木枠が張り巡らされてできています。自然に溶け込むというコンセプトに沿っており、木の温かさも感じられます。

自由学園明日館

自分だけで見たときは純粋に素敵!と感じましたが、職員の方の解説を聞きながら回ることで、重要文化財に指定されている歴史的な建築物としての見どころ、創設から現代まで続く学園の理念等がよくわかり、好奇心がさらに刺激され、濃厚な時間を過ごすことができました。(松永華)

| | コメント (0)

2017年4月13日 (木)

「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」ポーラ美術館開館15周年記念展

Blog_2


 先日、箱根のポーラ美術館で開催中の「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」を訪れました。スペイン出身のピカソと現在のベラルーシ出身のシャガールは、ともに20世紀に活躍した画家。同時期に芸術の中心地パリに暮らし、晩年を南仏で過ごした二人は、互いに敬意を払い意識しつつも、ちょっとした言葉のやり取りが原因で友情を育むことなく一定の距離を保った関係だったと言います。二人は、二度の世界大戦を経験し、激動の世界を目の当たりにしながら、ピカソは91歳、シャガールは97歳まで生き、多くの作品を遺しました。この記念展は、二人の作品を対比しながら鑑賞する貴重な機会をもたらしてくれます。
 会場には、パリのピカソ美術館から届いた作品や、二人の傑作をタペストリーで再現した巨大な作品など、多くの作品が展示されています。時代をおって展示された豊富な作品群に圧倒されながら会場を巡り、彼らの過ごした時代に思いを馳せました。(太田)

■ポーラ美術館開館15周年記念展「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」
2017年3月18日(土)~9月24日(日)
講演会やトークイベントも予定されています。

◇バルセロナのピカソ美術館を訪れるユーラシアの旅スペインツアーはこちら

◇ニースのシャガール美術館を訪れるユーラシアの旅南仏ツアーはこちら

| | コメント (0)

2017年4月 7日 (金)

話題の絶景!「トロルの舌」登頂レポート

北欧の魅力はなんといっても豊かな大自然。
特にノルウェーの南北に長い海岸線は、氷河が削り取ってできた壮大なフィヨルド地形で形成されています。
ユーラシア旅行社のツアーでは、この美しい景色をバスの車窓から眺めることはもちろん、フィヨルドクルーズや景勝列車、展望スポットなど様々な角度から思い思いに楽しむことが出来ます。
しかし、私の一番お勧めはハイキング!美しく、雄大な自然を自分の肌で体感すると、感動もひとしおです
ノルウェーにはプレーケストーレンなどいくつものハイキングコースが存在しますが、
今回は、その中でも「トロルの舌」のハイキングに挑戦する機会に恵まれました。

ノルウェー、トロルの舌

現地では「トロルトゥンガ」と呼ばれているこの景勝地は最近は様々な絶景特集でも登場して為、既にご存知の方も多いのではないでしょうか。
トロルの舌はノルウェーで信じられている妖精「トロル」に由来し、断崖絶壁に迫り出した岩がまるで舌を出しているように見えるためにつけられました。
数年前までは年間で約1000人ほどしか訪れなかったそうですが、SNS等で次第に知れ渡り、現在では年間3万人程の観光客がトロルの舌に向かってハイキングするそうです。
ハイキング前日まで、この天気予報は雨でしたが、当日は見事に予報を覆し晴天が広がりました。
トロルトゥンガにもっとも近い都市オッダからバスでハイキングの出発地点へ向かい、念入りに準備体操をし、いざ標高約1250mにあるトロルの舌へ出発!
高低差700m、往復22kmの道のりが始まります。

ノルウェー、トロルの舌へ最初1km

トロルの舌トレッキングは最初の1キロが一番の難関です。
傾斜が厳しく、粘土質の土が続く中、岩のゴロゴロした場所や木道、時には手を付いたりロープに捕まるほどの急な坂道を登って行きます。
このコースでは両手が空くようなリュックサックや足首をしっかりと固定するトレッキングシューズ、ストックが必須です。
1キロ地点を過ぎると視界が開け、傾斜もゆるやかなになり、雪解け水の清流を見ながら白樺が立ち並ぶハイキングコースをのんびりと歩きます。

ノルウェー、トロルの舌へ。4~5km付近の看板

ハイキング中、1つの目標となるのが1キロ毎に立っている標識。
ゴールの11キロに向けて数字が大きくなると、長い道のりも「あとちょっと頑張ろう」と心の中に秘めながら歩けます。

ノルウェー、トロルの舌へ。7~9kmフィヨルドが見えてくる

青く透きとおった水と氷河が削り取って出来たとは思えないまるで芸術のようなフィヨルドが見えてくると目指す断崖はもうすぐです。
そして、11キロという看板が立っていた場所のすぐ側を覗くと、テレビや写真で見たあの風景が広がっており、ついにゴール!
ここまで苦労して自分の足で登ってきた人だけが見れる、息を呑む絶景に大感激!
片道6時間の道のりを歩いた自分を褒めたくなります。
思い思いに写真を撮ったあと、いよいよ「トロルの舌」の上へ。
断崖から突き出た岩の上に乗ると岩ごと落ちてしまうのではという不安が頭を過ぎりますが、地質学的に岩は絶対に落ちないそう。
その言葉を信じて高所恐怖症の私は足がすくんでしまいますがら恐る恐る前に足を踏み出すと、このトロルの舌とフィヨルドの青い水面、雪を乗せた山並み。ノルウェーの自然が創り出した大自然の美しさは、ため息がこぼれるほどでした。

ノルウェー、トロルの舌からフィヨルドを望む

もちろん、帰りは同じ登山道を引き返して歩きます。
往復11時間のトロルの舌までのハイキングは、決して気軽なものとは言えません。けれど、トロルの舌から見る絶景は、それだけの道のりを歩む価値は十分にあるものでした(三浦)

| | コメント (0)

2017年4月 1日 (土)

餃子之路、西安にて ~楊貴妃の餃子~

Img_3534

何故か昨日から餃子の話、「餃子之路」です。もう多くの方が「は、はーん、」とお気づきかもしれません。

ちなみに昨日は 餃子之路、吉祥寺にて ~ヒンカリ~ でした。

餃子と言えば中国です。春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からすでに食べられていた痕跡が見つかっているそうです。
西安の有名な餃子館「徳発長」。弊社のみならず、それこそ国家主席クラスの要人からバックパッカーまで世界中からお客が訪れる超有名店ですが、そこでは「楊貴妃の餃子」というのがあります。

西安はかつての唐の都長安。楊貴妃は中国四大美女(西施・せいし、王昭君・おうしょうくん、. 貂蝉・ちょうせん、楊貴妃・ようきひ)の一人。玄宗皇帝が寵愛し過ぎたために安史の乱が勃発、傾国の美女と呼ばれます。
蛇足ですが、世界三大美女はクレオパトラ7世、楊貴妃、小野小町とのことですがクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネとされることもあります。

この可愛い楊貴妃の餃子、楊貴妃の健康が優れず、何とか食べて貰おうと玄宗皇帝の命で編み出されたされた食べ物だとか。餃子ひとつにも中国四千年の歴史が感じられます。

Img_3558

シルクロードツアーの魅力はこちら

世界の餃子はこちら

【エイプリルフール】餃子之路~ユーラシア大陸編~ 31日間 GYZAはこちら

| | コメント (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »