2017年6月19日 (月)

キルギスにて唐代の瓦発見!?現在も発掘が進められる世界遺産「アク・ベシム遺跡」に注目

発掘の進むアク・ベシム遺跡

先月のこと、中央アジアのキルギスにて、7世紀後半のものと思われる大量の瓦が発掘され話題になりました!発見は帝京大学シルクロード学術調査団によるもの。自国の研究者による功績に、私もうれしくなってしまいました。

現場となった「アク・ベシム遺跡」は、かつての唐王朝の都・長安からローマへと伸びたシルクロードの内、中国北西に聳える天山山脈を越えてゆくルートの先にあります。かねてよりこの地は、唐最西端の軍事拠点・砕葉城の跡と考えられていましたが、今回発見された瓦の年代・形式が唐の時代と一致しており、かつ漢字が書かれたものもあったことから、それがより確実なものとなった形です。

砕葉城と言えば、かの玄奘三蔵一行が立ち寄ったことでも知られています。天竺(インド)へと向かう求法の旅路は非常に過酷なもので、特に上記の天山山脈越えの際には多くの犠牲が出てしまったと言います。しかし、越えたその先は、雪解け水の恩恵により緑豊かなオアシスが広がる一大交易地でした。当時この地で力を持っていた北方遊牧民族・西突厥の王の力添えを得るため、一行は数日滞在し、素葉城(砕葉城に同じ)を訪問したとの記録が『大唐西域記』に残っています。余談ですが、彼がその後も天竺までの旅を続けることができたのは、ここで王の協力を獲得し、またここまでの旅路の疲れを癒すことができたからかもしれません。

雪を頂く天山山脈

この地が唐の支配下に入るのは、玄奘三蔵の訪問からわずか数年後のことです。西突厥の王は討たれましたが、砕葉城は西方への勢力拡大を狙う軍事拠点として引き続き使用されることとなります。
しかしながら、諸行無常とは言ったもので、唐の勢力も長くは持ちません。8世紀に入ると、タラス河畔の戦いにて大敗を喫し、この地をイスラム勢力へ明け渡したのでした。

大陸の中心に位置し、豊かな土地だった故に、攻防が繰り広げられた天山のオアシス。現在の「アク・ベシム遺跡」を訪れてみると、風化も手伝って城の形はほとんど保たれていませんが、確かに広大な城壁の跡が見られます。
かつてこの地に栄えていた一大都市を思い浮かべ、心の目で見てみると、吹き抜ける涼しい風にすらロマンを感じられる気がするのです。

帝京大学シルクロード学術調査団による発掘は、夏にも行われるそうですので、さらなる面白い発見があるかもしれません。まだまだ今後が期待の遺跡です!

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