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2010年3月

2010年3月30日 (火)

ミャンマーとジャポニスム

1blogtemplate ミンガラバー!先週末、説明会「近代西欧美術の潮流とジャポニスム」が開催され、私も運営スタッフとして参加しました。法政大学の酒井健教授が講演されました。自然と人間が調和してうまく描かれている日本の絵画(浮世絵など)が、古い体制を打破したいと考えていた19世紀末のヨーロッパの画家達に大きな影響を与えた。そして、ヨーロッパの伝統と日本文化のエッセンスなどが交じり合い新たな様式美が生まれたことなどが紹介されました。Blogtemplate_12

酒井先生のお話の中で私が関心を持ったのは、モネの睡蓮の絵でした。彼は庭に日本の植物を植え、蓮の池や日本風の橋などもつくり、日本をイメージしながらその風景を毎回違う角度から絵を描かれたと聞き、私も実際にジヴェルニーにあるモネの家を訪ねて見たいと思いました。Blogtemplate_2  

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2010年3月25日 (木)

多くのミャンマー人が愛する花“パタゥパン”

 ミンガラバ―!先日は日本の花"さくら“について書きましたが、今日はミャンマーでもっとも愛される花“パタゥパン”のことをご紹介します。
 パタゥパンは日本のさくらのように4月にしか咲きません。ミャンマーでは本格的な雨季は6月頃から始まりますが、乾季の終わりである4月に入ると少し雨が降りはじめます。その4月の雨上がりに咲くのがパタゥパンです。雨水を浴びて黄色く咲き誇るパタゥパンはとてもきれいです。Photo_2 私が子供の頃は、パタゥパンが咲くのをどきどきしながら待っていました。

 パタゥパンをテーマにした歌詞をラブレターにして好きな女性に渡す人もいれば、花を木から採り好きな女性に捧げる人もいます。思春期のラブストリーなどを代表する花でもあります。そういう可愛い慣習が今日まで残っています。パタゥパンの歌や映画なども多く、いつ見ても心を潤し昔の自分を思い浮かべます。

 ただ、ミャンマーは日本と違ってきれいな花が咲いてあるとすぐ木から採ってしまいます。その中から一番綺麗なものをまず仏像にお供えします。そして、残りを女性が髪に飾ったり、美しく花瓶に飾ったり、近所の人に配ったりします。このため、一年にたった一度だけ咲くこの美しい花は、たった一日の短い間に無くなってしまい、とても残念です。

 私は日本に来て、皆で花を見て楽しむことがとても好きになりました。いつかミャンマーでも日本のお花見のように満開のパタゥパンを皆で楽しめるようになったらいいなあと思っています。

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2010年3月23日 (火)

サクラの季節がやってまいりました

1blogtemplateミンガラバー!昨日、東京でサクラが咲き始めました。楽しい花見の季節がやってまいりました。毎年サクラの季節になると私も上野公園へ花見に行きます。見るたび、ミャンマーにいる家族や友達とそれ以外の人たちにも日本人が花を楽しむ風景を見せてあげたいといつも思っています。 Sakurablogtemplate
ミャンマーは南北に長い国で、南の方は暑いですが、北の方は山が多く日本と同じぐらい涼しいです。この地域には日本のサクラとよく似たサクラの花があります。名前も日本と同じ発音の「サクラ」です。ミャンマーのサクラの由来はあまり分かりませんが、日本のサクラがアメリカのワシントンに咲いているようにミャンマーにも日本からサクラを植林したのではと思います。山が多く一年中涼しくて過ごしやすい地域なのでミャンマー人の観光客には大人気です。写真に写っているサクラはマンダレーの北部にあるピンウールィンという町に咲いているサクラです。

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2010年3月18日 (木)

私が生まれたヤンゴン(旧首都)のあれこれ !

Photo_7 ミンガラバー!今日は私が生まれた町“ヤンゴン”を紹介します。ヤンゴンは歴史の主役の町で経済、文化、宗教などの集着地でもあります。日本で上京して夢を実現させたい人がいるかのように、ミャンマーでも地方からヤンゴンに行って夢を実現させたい人は少なくありません。現在のヤンゴンは旧首都としてもっと誇り高く、人々の注目を受けているのではないかと思います。 
 Photo_8歴史によると、2500年前は“ダゴン”という名前でしたが、18世紀頃にミャンマーを統一した王は敵がいなくなって、戦いが終わるという意味で“ヤンゴン”と名付けたようです。19世紀頃、イギリス植民地になった時、イギリス人は港町であるヤンゴンをミャンマーの首都にし、外国からの船などの行き来を許し、発展させました。当時のヤンゴンの名前も“ラングーン”に変わり、市の図形も新たに設計されました。2000年前からのスーレーパゴダを市の中心にし、道路を碁盤の目のように設計したので、ヤンゴン川からの風通しがよかったのではないかとの言われもありました。当時、市にある全ての道路の名前は英語でした。現在は市名もヤンゴンに戻り、道路の名前も全部ミャンマー語(英語と同じ意味)に変えられました。 Photo_6
  ヤンゴンは首都だった時、市内にあるコロニアル風の建物の殆どは役所として使われました。私もガイドになる前は、特に何も感じることなく、見ることなく当たり前のように行ったり来たりしていましたが、ガイドになってお客様を案内する時に植民地時代を思い出し、少し悲しくなるような感じがする時もありました。 Photo_10
 この町の 私のおすすめ場所はヤンゴン川です。普段観光客はあまり行く事がないところだが、行ってみる価値はあると思います。観光地には見られない生の市民の生活風景が見られるところでもあります。私は時々ヤンゴン川の方に行って、渡し船で行き来している人たちや渡し船に乗りっぱなしで物を売る人々、荷物を運んでいる人々、向こう側にある市からの物品を運んでヤンゴンで商売する人々、見ているのは面白くて、全然飽きません。

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2010年3月16日 (火)

日本語を学んだきっかけ!

 Kkhblogtemplate 皆様、ミンガラバー!(こんにちは!)。今日は私自身のことを少し紹介したいと思いますが、まずその前にタイトルについて少しご案内します。
 
“ミンガラバーはミャンマー語の挨拶の言葉です。日本には1日の時間により様々な挨拶の言葉があると思いますが、ミャンマーには一般的に1つしかありません。それがミンガラバーです。人と会う時にいいことがありますようにと願いを込めて挨拶します。
 “パゴダ”は仏塔という意味で、お釈迦様の遺骨などが安置されたものです。タイやカンボジアのワットと同じ意味だと思います。
 
まず、私の名前についてご案内します。ミャンマーの名前は日本のように姓と名がありません。誰でも生まれた曜日によって名前が付けられます。お坊さんも同じです。お坊さんになると、生まれた曜日によって新しい名前が付けられます。名前を付けるため、1週間が8日に分けられています。水曜日の昼12時までは水曜日で、12時からは“ヤーフ”という曜日になります。それぞれの曜日に固有の文字があり、名前の頭文字が曜日の文字になります。頭文字以外は自由です。短くても、長くても構いません。
 例えば、私は月曜日生まれです。月曜日の文字は5つあり、“KA、KHA、GA、GHA、NGA”といいます。私の名前はその中の“KA”を取り、"KHIN"と付けられました。呼ばれる時も、名前の全部を呼ばれても、呼びやすい文字1個で呼ばれても、ミャンマーの人は違和感を持ちません。

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2010年3月12日 (金)

ブログ開設のご挨拶

1blogtemplateはじめまして、キンキンテーと申します。
私は、2007年に留学し、この4月からユーラシア旅行社で正社員として働くことになりました。ミャンマーで日本語を勉強しながら、現地観光ガイドをしてまいりました。
日本にいる間に日本の皆様に母国ミャンマーを紹介したいと思い、このブログを立ち上げました。
ブログでは、ミャンマーの仏教遺跡、文化、宗教、自然、食べ物、飲み物、日常生活など知られざるミャンマーの素顔を紹介していきたいと思っております。
ブログは週二回ずつ更新していきます。私の日本語力はまだまだ十分ではございませんので、何かおかしいところや、足りない点がございましたらお許しください。

何卒どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

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