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2010年5月

2010年5月27日 (木)

バガン遺跡特集⑧ ~ 「シュロ」の木で生きる一家族 ~

Blogtemplate  ミンガラバー!今日はバガン遺跡特集の最後の日になりました。今回は、バガンの近くの村に住む、「シュロ」の木から取れる様々な自然の物産を売って、生活している一家族のことをご紹介します。
 「シュロ」の木をご存知でしょうか。東南アジアの熱帯地方によく見かけるシュロは、やしの一種で、暑さに強く、100年以上の寿命がある言われています。ミャンマーにも、中部(バガンあたり)にたくさんあります。バガンの近くに住む人たちは寺院が建てられた昔から現代に至るまでシュロを利用して生活して来ました。
 私は、お客様をポッパ山にご案内する度、お客様にバガンターの生の生活と素顔を見てBlogtemplate_2 ほしく、途中の道沿いにあるシュロの家族のところによく立ち寄りました。その家族はシュロの葉っぱや竹などで店を造り、シュロの木から取れるものを売って生活しています(勿論、村の中にも彼らの家がありますが、商売の為にここに住んでいます)。
 彼らは毎朝早くシュロの木に登り(その辺に住んでいる男性は誰でも登れます)、枝のようなものから出る樹液を取ります。その液体は日差しが強くならないうちに取ると、甘いジュースのような味ですが、日差しが段々強くなってくるにつれ、Blogtemplate_3 甘酸っぱくなり、夕方になると苦くてお酒のような味になります。それを飲むと酔っ払うので、現地ではシュロの酒と呼びます。現地の人たちの日々の楽しみのため欠かせないもので、人気が高いです。又、売れ残りのシュロの酒を発酵させて地酒を作ります。それはアルコール度数が40度近くあります。疲れた毎日の夕方にシュロのお酒を飲むのが現地の人たちの一日の楽しみです(仕事帰りにどこかに寄って帰る日本のサラリーマンの人たちと同じかもしれません)。ミャンマー人の多くは、お酒を飲むとすぐに酔っ払い、簡単に喧嘩するので、私が子供の頃はお酒を飲む人は悪い人だと思っていました。

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2010年5月25日 (火)

バガン遺跡特集⑦ ~ バガン一の高さを誇る寺院 ~ 「タビィニュ」 ~

 ミンガラバー!今回でバガン遺跡特集は7回目になります。バガンを紹介する際、残してBlogtemplateはならない寺院があります。それは、「タビィニュ寺院」です。
 バガンに行く際、誰でも必ず訪れたいと思うパゴダは4つあります。それは、①黄金で輝く「シュエズィーゴンパゴダ」、②建築美が素晴らしい「アーナンダ寺院」、③寺院のサイズが一番大きい「ダマヤンヂー寺院」、それから、今日ご紹介するバガン一高い「タビィニュ寺院」です。

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2010年5月20日 (木)

バガン遺跡特集⑥ ~隠れたハイライト「ポッパ山」~

 Blogtemplateミンガラバー!ベストシーズンを迎えたヨーロッパ方面の旅行は、アイスランドの火山噴火で、少しとどまったようでしたが、今は落ち着いていて、弊社のお客様の多くも旅行に出かけていらっしゃいます。
火山といえば、ミャンマーにもバガンの南東50kmに休火山「ポッパ」があります。高さは約1500mで、25万年前に一度噴火したことがあり、当時の噴火口が今も残っています。噴火した時の溶岩で、すぐ近くに本山の半分ぐらいの高さ(約700m)の、溶岩で出来た山が生まれました。これがバガン観光の隠れたハイライトでもある「ポッパ・タウン・カラッ」です。周囲は乾燥地帯ですが、この地域だけは一年中緑豊かな木々で覆われ、珍しい漢方薬や花、果物などの様々な種類があり、ヨーロッパの植生研究者たちにも人気があります。

溶岩の山「ポッパ・タウン・カラッ」はミャンマーの土着の宗教である「ナッ=精霊」信仰の聖 地です。ミャンマーは仏教徒の国でありながらも、ナッ信仰を続けている家庭が多いです。誰の家にも一番高い位置に仏壇が作られ、その一段下に家の守護神のナッが祀られています(私の実家も)。Blogtemp毎日、ご飯とお水とお花が供えられ、私たちと一緒に生きている仲間の精霊の神様なのです。ナッの多くは、かつての地域の英雄やパワーがあった人たちです。彼らは自然死ではなく、何かのことで当時の王様に処刑されました。現世に執着しすぎ、未練を持ったまま亡くなったので、来世に行けず、精霊のままで今まで生きています。彼らは精霊の中でもレベルが高く、皆から信仰されているので、来世に行かずに精霊のナッのままで現在までいるという説もあります。彼らは約1世紀から16世紀の間、実際に生きていたスパーパワーを持った人たちです。男、女、子を含めて全部で37の神がいます。その37種類のナッの全てが、ここ「ポッパ・タウン・カラッ」に集めて祀られ、全国のナッの本拠地、聖地になっています。

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2010年5月18日 (火)

バガン仏教遺跡特集⑤ ~ 未完成のピラミッド「ダマヤンヂー寺院」

Blogtemplate ミンガラバー。今日は2000基以上あるパゴダの中で、寺院のサイズが一番大きく、また独特の姿をした「ダマヤンヂー寺院」をご紹介します。Blogtempla
ダマヤンヂー寺院は外から見ると、落ち着いた煉瓦の色とどっしりした形がとても似合い、魅力的です。その上、13世紀頃に造られた寺院が今まで殆ど手を付けられず、当時のままの形であるため、その「遺跡らしさ」が外国人の観光客に人気があります。バガンのどこから見てもよく似た形の仏塔が建ち並ぶ中で、ピラミッドのような形で、ひときわ綺麗で立派に見えます。 Blog_2
夕方になると、写真撮影が目的で集まってくるお客様たちで賑わいますが、それ以外の時間にはあまり人影が見えません。寺院の中に入ると、飾られている壁画や仏像、レリーフなどの殆どは修復されずに、古いのまま残っていて、煉瓦の湿っぽい匂いがします。又、通路を歩いていると天井からコウモリの音が聞こえてくるような感じもします。前にご紹介した「シュエズィーゴンパゴダ」や「アーナンダ寺院」は常に綺麗にされ、皆に愛されている一方で、「ダマヤンヂー寺院」はその逆です。修復が大好きなミャンマーの仏教徒たちは、この寺院だけには修復をしようと思いませんでした。それは一体なぜでしょう。

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2010年5月13日 (木)

バガン遺跡特集④ ~ バガンターと遺跡付近の村々 ~

Blogtemplate ミンガラバー!今日はバガンターと遺跡付近にある村々のことをご紹介します。ミャンマー語で「ター」は人で、バガン人という意味です。バガンは「オールドバガン」と「ニューバガン」という2つの地域に分かれています。1990年代迄は、バガンターたちは遺跡の近くに家を建てて住み、真剣な仏教徒として生活してきました。その後、遺跡を守るという国の政策で、現在ニューバガンと呼ばれる遺跡と離れた所に移転して住んでいます。オールドバガンには11~13世紀頃のバガンを代表するパゴダがたくさんあります。
遺跡の近くには、いくつかの村もあります。村の周辺は古いパゴダの姿や、ヤシの屋根しBlo か見えない、なにもない素朴な風景です。村には、手動で機を織っている、おばあさんや子供たちがいて、誰の家でも入ったら(知らなくても)、お茶やお菓子が出されます。お菓子と言っても、村の人たちが栽培しているピーナツが多いです(バガンは乾燥地帯なので、お米の栽培ができず、豆類、綿、ナツメなどを栽培しています)。「どこから来ましたか」という話から始め、あっという間にお互い仲良くなり、色々な会話をして、なかなか家を出ることができません。村の訪問に行く前は、お昼の暑さを気にするかもしれませんが、意外にもヤシの屋根の涼しさが気に入り、温かいお茶とピーナツの味がよくあって、とても美味しいです。何度も行くガイドの私でもお客様をご案内する度に、楽しくなります。

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2010年5月11日 (火)

バガン遺跡特集③ 微笑みの秘密 ~「アーナンダ寺院」

Fulltempleblogtemplate ミンガラバー!前回はパゴダのうち、「仏塔」を代表する「シュエズィーゴンパゴダ」をご紹介しました。続きまして、今日はバガンにある「寺院」の中で最もバランスが美しい建築と言われている「アーナンダ寺院」をご紹介します。
 アーナンダ寺院は1091年にチャンスィッター王によって造られました。ヒマラヤ山脈にある洞窟を真似て造られ、仏陀の従弟、又は弟子でもある「アーナンダ」に因んで「アーナンダ寺院」と名付けました。仏陀と一番近くにいるような居心地Blogtemplate_2をお参りに行く人々に感じさせるため、この名前を付けたとも言われています。

 寺院は上空から見ると正方形です。全体は白く塗装されていて、塔の形もとてもバランス よく綺麗に見えます。東西南北に4つの入口と参道があり、参道には奇麗なレリーフなどが残っています。4つの入口の奥には高さ10メートルぐらいの巨大な仏像(立像)がそれぞれ1体ずつ祀られています。

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2010年5月 6日 (木)

バガン遺跡特集② ~黄金で輝く仏塔・シュエズィーゴンパゴダ

Blogtemplate ミンガラバー!今日はバガン遺跡にある無数のパゴダのモデルになった「シュエズィーゴンパゴダ」をご紹介します。
 その前に、ミャンマーにあるパゴダの2つの種類についてご案内します。バガンには大きく分けて2種類のパゴダ、「仏塔」と「寺院」があります。仏塔は仏舎利やブッダの遺骨を安置して造られたもので、その中までは参拝客は入れず、外側からお参りすることになります。一方、寺院は東西南北に入口があり、その4つの正面に仏像が祀られ、中まで入ってお参りすることができます(入口が1つだけある寺院もあります)。ミャンマー各地にあるパゴダの殆どは仏塔ですが、バガン遺跡には寺院が多いことが特徴です。シュエズィーゴンパゴダは前者ご紹介した仏塔の種類です。
  シュエズィーゴンパゴダは1044年頃にアノーヤター王によって造り始められました。アノーヤター王が仏教徒になってから一番最初に造ったパゴダです。スリランカの王様からブッダの遺骨をプレゼントとして頂いたのですが、王宮に祀って自分だけ崇拝するだけでは、仏教の栄えは滞ると考え、遺骨を安置する立派なパゴダを造ったと言われています。また、自分が造ったパゴダは今後造る人たちの見本になるように、又、長く存在できるようにという思いで、近くにある山を崩し、国民も功徳を積むように、山の石を国民の力で運んで造ったと言われています。そのため、完成するのに約30年間ぐらいかかりました。残念ながら、完成する前にアノーヤター王は亡くなられ、その後で即位したチャンスィッター王が完成させました。パゴダを造った当時は、土着信仰である「ナッ」信仰も栄えていたため、境内の中には「ナッ」信仰の神様も一緒に祀られています(「ナッ」信仰については、後日に改めてご案内します)。その後、アノーヤター王の思いの通り、バガン遺跡で次々に造られた仏塔などはシュエズィーゴンパゴダの形を模して造られました。

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2010年5月 5日 (水)

仏教遺跡バガン

ミンガラバー!皆様今年のゴールデンウィークはいかがでしたか。私は外国人に人気がある日本の代表的な観光地である京都や奈良にも行ったことがありますが、今回鎌倉へ行ってきました。天気がとてもよく、青空の下に輝く大仏を見るのが落ち着いて、2時間もかけて大仏を見ていました。Tarabablogtemplate_2
さて、今回から5月いっぱい、ミャンマー観光の第一の目玉ポイントである「仏教遺跡バガン」をご紹介します。パゴダが2000基をこえるバガン仏教遺跡は現在ユネスコ世界遺産には登録されていませんが、カンボジアの「アンコール・ワット」、インドネシアの「ボロブドゥール」と共にアジアを代表する巨大遺跡の一つです。
モンゴル系民族であるビルマ族は8世紀ごろから10世紀頃にかけて都を全国のあちらこちらにつくりました。11世紀頃(日本の平安時代後期)になるとビルマ族の王「アノーヤター」はバラバラになっている都を統一し、ミャンマーの中部(現在のバガン遺跡があるところ)の平地に「アリマダナプラ=幸福な都」という名前で新しい都を作りました(農業国ミャンマーの命でもある「エヤワディー川」がすぐ近くに流れています)。
Bagannblogtemplate  バガン王朝は、その名前の通り豊かな国で、国民は安全で、安心して暮らすことができ、とても裕福な生活を送ったと言われています。当時のビルマ王朝は政治的、経済的に安定していました。ですから、宗教に力を注ぐようになり、当時仏教が栄えていたミャンマーの南にある「タトゥン」の町スリランカや他の東南アジアの国などと活発に交流しました。アノーヤター王はタトゥンを訪れ、仏教と触れあい、仏教徒になりました。自分だけでなく、王族も国民も一緒に仏教徒になれるように、また仏教がずっと栄えるように力を入れたと言われています。

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