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2010年5月 5日 (水)

仏教遺跡バガン

ミンガラバー!皆様今年のゴールデンウィークはいかがでしたか。私は外国人に人気がある日本の代表的な観光地である京都や奈良にも行ったことがありますが、今回鎌倉へ行ってきました。天気がとてもよく、青空の下に輝く大仏を見るのが落ち着いて、2時間もかけて大仏を見ていました。Tarabablogtemplate_2
さて、今回から5月いっぱい、ミャンマー観光の第一の目玉ポイントである「仏教遺跡バガン」をご紹介します。パゴダが2000基をこえるバガン仏教遺跡は現在ユネスコ世界遺産には登録されていませんが、カンボジアの「アンコール・ワット」、インドネシアの「ボロブドゥール」と共にアジアを代表する巨大遺跡の一つです。
モンゴル系民族であるビルマ族は8世紀ごろから10世紀頃にかけて都を全国のあちらこちらにつくりました。11世紀頃(日本の平安時代後期)になるとビルマ族の王「アノーヤター」はバラバラになっている都を統一し、ミャンマーの中部(現在のバガン遺跡があるところ)の平地に「アリマダナプラ=幸福な都」という名前で新しい都を作りました(農業国ミャンマーの命でもある「エヤワディー川」がすぐ近くに流れています)。
Bagannblogtemplate  バガン王朝は、その名前の通り豊かな国で、国民は安全で、安心して暮らすことができ、とても裕福な生活を送ったと言われています。当時のビルマ王朝は政治的、経済的に安定していました。ですから、宗教に力を注ぐようになり、当時仏教が栄えていたミャンマーの南にある「タトゥン」の町スリランカや他の東南アジアの国などと活発に交流しました。アノーヤター王はタトゥンを訪れ、仏教と触れあい、仏教徒になりました。自分だけでなく、王族も国民も一緒に仏教徒になれるように、また仏教がずっと栄えるように力を入れたと言われています。

Commonblogtemplate_2  当時の人々は自分たちのご利益のためにパゴダを作り始めました。自分達がつくったパゴダを子孫が守り続け、功徳がずっと続いていくと共に仏教も長く存在するという思いを込めて造ったと言われています。サイズや形、使うお金や造る場所などに関係なく国王に申告すれば自由にパゴダをつくることができました。当時バガンにつくられたパゴダは4000基以上もあったと言われ、現在はその半分の2000基以上が存在しています(未だに発掘中のところもあります)。バガン遺跡にあるパゴダは小さい規模(高さ1m)から大規模な(62m)ものまであり、存在する場所も庭や学校、又畑の中など様々です。又、形も異なります。
私はお客様を案内するたびに当時の人たちの思いが現在までに至っていることを実感しました。一つ残念なことは、規模が大きいパゴダは王様やお坊様などが造り、造った理由・年・造った人のこと等が石碑などで刻まれてあり、知ることができますが、小さいパゴダを造ったのは殆どは一般の国民であったため、データが残っておらず、知ることができないことです。
誰が造ったか、いつ造られたかか分からなくても、近くに住むバガン人は毎日少なくともお水とお花をお供えしていますので、造った人の功徳は今にでも存在しています。

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