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2010年11月18日 (木)

ミンドン王の伝説

Palaceblogtemplate  ミンガラバー!
 13世紀頃、バガン王朝はモンゴル人の侵攻を受け、崩壊しました。その後、ビルマ人の王朝は様々な地域に転々と移りました。1857年頃、アマラプラ王朝のミンドン王は、北の方11キロぐらい離れている所にあるマンダレーヒルの麓に都を移しました。
 ミンドン王はマンダレーヒルを見渡せる所に王宮を造りまし た。新しい都をヤダナポン(ヤダナ=宝物、ポン=集まる)と名付けました。実は、マンダレーの北の方に「モゴック」というルビーの産地があります。現在の宝石の取引の中心が旧首都ヤンゴンですが、当時はヤダナポンだったそうです。都の名前「ヤダナー」は宝石だけでなく、仏教の宝物である僧侶も含め、幸運の都という意味でもあるようです。今日では、マンダレーヒルの麓にあるので、「マンダレー」と呼ばれるようになっています。Palacehillblogtemplate
 伝説によりますと、仏陀はマンダレーヒルにいっらしゃったことがありました。山を守っていた鬼は仏陀に何かを寄付したいと思っていましたが、寄付するものが何もなかったので、自分の体の一部を切って寄付しました。仏陀は鬼に現在のマンダレー市の方向を指差し、将来は山の麓には仏教が栄える大きな都が出来るだろうと予言されたようです。仏陀の予言の通りに1857年に仏教が栄えたヤダナポンという都が出来ました。その鬼こそはミンドン王だったと伝えられています。

Mindonblog  ただし、ヤダナポンの都が造られた頃から、ミャンマー全土の半分位はイギリスの植民地になっていました。そのため、ヤダナポンにはイギリス人やフランス人などがよく行き来し、商売などをしていました。王族の家来の中には、フランス人の女性などもいたようです。当時、ミンドン王は、国を発展させると共に仏教が栄えるためにも力を入れました。国民に僧侶たちを尊敬させ、自分も尊敬し、勉強していました。 僧侶たちの勉強の為にも仏教大学をたくさん造りました。当時はミャンマー全国の僧侶たちが集まる仏教の中心地でもあったようです。又、ミャンマーで一番最初の「仏教サミット」が行われるまで努力しました。
 一方で、パゴダや僧院などをたくさん造りました。残念ながMdlhillblogtemplateら、それらの多くは第二次世界大戦中に壊されました。でも、未だに残っているものもあります。現在では、国宝として管理され、マンダレー観光には欠かせない見どころになっています。次回からは、ミンドン王が造った仏教遺跡を紹介していきます。

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