2010年12月
2010年12月30日 (木)
2010年12月28日 (火)
お湯がとってもありがたいです
ミンガラバー!
最近、冬晴れの寒い日々が続いていますね。ミャンマーも例年より、日常の気温が下がり、涼しいそうです。とは言っても、南部(ヤンゴン)の気温は18~25度ぐらいですが、現地の人たちは「寒い!」と感じているようです。
ところで、私も来日してから、お湯を浴びるようになりましたが、ミャンマーでは、お湯で体を温める(お風呂に入る)習慣などは、ありません。普通は、上半身ぐらいまでロンジーを巻いて、水壺からカップで水をとって、体に濯いて浴びるだけです(シャワーと似たような感じですが)。ミャンマーにいた時、寒い季節(11~2月頃の乾期)になると、冷たい水で水浴びすることをいつも辛く感じました。夏は、太陽の暑さで暖かくなっている水、乾期の寒い時は、外の空気で冷たくなっている水で浴びるのはミャンマーの人にとって普通です。
2010年12月24日 (金)
2010年12月21日 (火)
2010年12月16日 (木)
2010年12月14日 (火)
マンダレー~世界一の大きな本~
ミンガラバー!今日は、マンダレーにある世界一の大きな仏典をご紹介します。
それは、マンダレーヒルの麓の近くにあるクドードォパゴダです。広い敷地の中心に黄金で輝く仏塔が建てられたパゴ ダですが、ミンドン王の仏教に対する思いが染み込んでいるパゴダでもあります。
ミンドン王はヤダナポンの都を造営した際、仏教が栄えるために、必要とされるものも考えて造りました。それは、僧侶たちが勉強できる大学や、説教場、僧院、パゴダなどです。
ブッダが亡くなられた後、経典などは時代によって、人々に よって少しずつ修正されてきたことをミンドン王は気にかけていたようです。幸いにも当時のヤダナポンで第五次仏教サミットが行われました。それを機に、ミンドン王はサミットで唱えられた経典の全てをそのまま残したいと考えました。ヤダナポンの近くの大理石の産地から大理石を切り取り、その上に経典を刻み写すつもりでした。
2010年12月 9日 (木)
2010年12月 7日 (火)
2010年12月 2日 (木)
マンダレーの誇り~旧王宮
ミンガラバー
今日は、マンダレーが誇るコンバウン王朝の「旧王宮」をご紹介します。
ビルマ王朝の最後がコンバウン時代(1752~1886年)で、コンバウン王朝のミンドン王は1857年頃にマンダレーヒルの麓にヤダナボンの都を造営し、都の中心に王宮も造りました。この王宮を造るのに4年もかかったそうです。王宮は「Mya-nan-san-kyaw-shwe-nan-daw=エメラルドのように緑豊かで幸福な名高い・黄金の王宮」と名付けられました。中には、王族の住まいだけでなく、お金の倉庫又は宮廷の人たち用の喫茶堂や説教堂なども含め、100棟以上の建物と展望台が造られていました。王宮内の全ての建物はチーク材で造られ、彫刻で施されていました。しかし、ミンドン王の住まいの建物だけは屋根から土台 の柱ぐらいに至るまで仏陀の550種の物語を表す彫刻などでびっしり飾られ、その上に金箔で貼られていました。どこからみても目立ち、黄金で輝やいていました。
王宮の城壁は高さ8m、幅70mの堀で囲まれています。どこから見てもマンダレーヒルと堀と城壁はとても格好よく見えます。旧王宮の敷地は一辺が3キロの9平方キロあり、現在では軍の施設として利用されていますので、現在では敷地の一部分のみが改装され、見学できるようになっています。
2010年12月 1日 (水)
【共通テーマデー】もしも私が海外の町に住むとしたら・・・
ミンガラバー!
バンコクと日本しか海外の土地に足を踏み入れたことがない私ですが、住んでみたい町をもう1ヵ所選んでくださいと言われたら、まず選ぶのはイギリスのロンドンです(ミャンマー語ではイギリスは「インガラン」、ロンドンは「ランダン」です)。
1885年の戦争でイギリスに負けてしまって植民地になったビルマ。インドまで王族が連れていかれ、ビルマ王朝の多くの国宝もインドを経由してイギリスへ持って行かれました。戦争後、それらの一部は返還されましたが、残りはロンドンの大英博物館に展示されていると言われています(返還されたものは、ヤンゴンの国立博物館の中に展示されています)。
私が子供の頃(1990年代頃)、2つのチャンネルしかないミャンマー国営テレビではイギリス植民地時代のドラマが途切れることなく、連続で放送されていました。当時の国民の楽しみはテレビしかなかったので、子供も大人もよく見ていたことを思い出します。
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