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2010年12月

2010年12月30日 (木)

私の2010年

Rgvblog  ミンガラバー!
 いよいよ、明日で今年も終わりですね。今回が今年の最後のブログ更新です。2010年は皆様にとって、どういう年でしたでしょうか?私にとっては、この365日間は本当にあっという間でした。
 今年の2月に専門学校を卒業し、4月からユーラシア旅行社に勤めるようになりました。日本の会社で日本人と一緒に働くことは夢のようで、とても興奮する毎日を過ごしています。この「パゴダの国からミンガラバー」ブログは3月中旬ぐらいから始めて、今月でようやく9ヶ月目になりました。読者の皆様に日々感謝しております。

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2010年12月28日 (火)

お湯がとってもありがたいです

Sino2blogtemplate  ミンガラバー!
 最近、冬晴れの寒い日々が続いていますね。ミャンマーも例年より、日常の気温が下がり、涼しいそうです。とは言っても、南部(ヤンゴン)の気温は18~25度ぐらいですが、現地の人たちは「寒い!」と感じているようです。
 ところで、私も来日してから、お湯を浴びるようになりましたが、ミャンマーでは、お湯で体を温める(お風呂に入る)習慣などは、ありません。普通は、上半身ぐらいまでロンジーを巻いて、水壺からカップで水をとって、体に濯いて浴びるだけです(シャワーと似たような感じですが)。ミャンマーにいた時、寒い季節(11~2月頃の乾期)になると、冷たい水で水浴びすることをいつも辛く感じました。夏は、太陽の暑さで暖かくなっている水、乾期の寒い時は、外の空気で冷たくなっている水で浴びるのはミャンマーの人にとって普通です。

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2010年12月24日 (金)

師走の日本

Himatsuri2blogtemplate  ミンガラバー!
 今日は、クリスマスイブですね。自分とあまり関係ないようですが、なんだか、妙に楽しい気分です。クリスマスが終わると、年末年始の準備などで皆様忙しいのではないでしょうか?弊社の年末年始のツアーも昨日あたりから続々と出発しています。毎日、ツアーの準備に皆社内を忙しく走り回っています。昨年の12月に「師走」という言葉を先輩に教えてもらったことを思い出します。 

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2010年12月21日 (火)

初めて見た「霜柱」

Viewblogtemplate  ミンガラバー!
 先週末、ハイキングによく行く先輩(添乗員)たちと一緒に高尾山へ行ってきました。日本3年目で、冬の寒さに少しずつ慣れてきたと、自分勝手に思ったりしていますが、実は冬Tokyoblogtemplateになると仕事以外はあまり出かけていません(笑)。山に行くのが今年で4回目でした。1回目の時は、ハイキングや登山は、これが最後!と思ったりもしていましたが、3回目ぐらいから楽しくなり、ハイキングに興味を持つようになりました。

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2010年12月16日 (木)

ヤンゴンのクリスマス

2blog  ミンガラバー!
 先週末、大阪に住む友達が東京に遊びに来たので、東京タワーに案内しました(ガイドのようでしたが、私も2回目でした)。クリスマスのイルミネーションで普段よりきれいになっている東京タワーは、3年前に初めて来た時とは違う印象でし1blog た。
 日本では、12月に入ると早速クリスマスのイルミネーションや、様々なイベントなどが始まっていましたね。友達は、今年が日本で初めての冬なので、寒さに弱いように見えました(3年前は、私も寒さに弱かったです)が、東京タワーの夜景には感動していました。

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2010年12月14日 (火)

マンダレー~世界一の大きな本~

1blogtemplate  ミンガラバー!今日は、マンダレーにある世界一の大きな仏典をご紹介します。
 それは、マンダレーヒルの麓の近くにあるクドードォパゴダです。広い敷地の中心に黄金で輝く仏塔が建てられたパゴ ダですが、ミンドン王の仏教に対する思いが染み込んでいるパゴダでもあります。
 ミンドン王はヤダナポンの都を造営した際、仏教が栄えるIblogために、必要とされるものも考えて造りました。それは、僧侶たちが勉強できる大学や、説教場、僧院、パゴダなどです。
ブッダが亡くなられた後、経典などは時代によって、人々に よって少しずつ修正されてきたことをミンドン王は気にかけていたようです。幸いにも当時のヤダナポンで第五次仏教サミットが行われました。それを機に、ミンドン王はサミットで唱えられた経典の全てをそのまま残したいと考えました。ヤダナポンの近くの大理石の産地から大理石を切り取り、その上に経典を刻み写すつもりでした。

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2010年12月 9日 (木)

マンダレー~全てが焼失した中、ただ一つだけが残っていました~

Hizashitateblog ミンガラバー。先日、マンダレーが誇る19世紀頃のビルマ王朝の王宮をご紹介しました。
当時、王宮の中にあった全ての建物がチーク材で建てられたので、戦争中爆弾が落とされた時に全てが焼失しました。でも、幸いに一つの建物だけが残りました。それは、ミンドン王の住まいの建物だったのです。Ichiblogtemplate_4

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2010年12月 7日 (火)

バスよりも遅い鉄道

 ミンガラバー!
Btblogtemplate  先日(12/4)、東北新幹線が青森まで全線開業しましたね。東京から東北へは、とても近く感じてしまいます。発展途上の国から来た私にとっては、より良いサービスを次々に創造していくことは、とても格好良く見えます。
 母国の列車は日本とは違い、速度がとても遅いです。又、出発・到着時刻のルーズさや、線路上の信号の待ち時間がTrainblogtemplateずいぶんかかることもありますが、現地の殆どの人たちはそれが当たり前のように感じています。待たされる時間には、 隣の人としゃべったり、昼などには持ってきた弁当を一緒に食べたり、お互いのことをしゃべったりして時間を潰します。売り子たちと友達になる人もいるようです。

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2010年12月 2日 (木)

マンダレーの誇り~旧王宮

Horihillhanablogtemp  ミンガラバー
 今日は、マンダレーが誇るコンバウン王朝の「旧王宮」をご紹介します。
 ビルマ王朝の最後がコンバウン時代(1752~1886年)で、コンバウン王朝のミンドン王は1857年頃にマンダレーヒルの麓にヤダナボンの都を造営し、都の中心に王宮も造りました。Gaikenpalaceblogtemplateこの王宮を造るのに4年もかかったそうです。王宮は「Mya-nan-san-kyaw-shwe-nan-daw=エメラルドのように緑豊かで幸福な名高い・黄金の王Iriguchiblog宮」と名付けられました。中には、王族の住まいだけでなく、お金の倉庫又は宮廷の人たち用の喫茶堂や説教堂なども含め、100棟以上の建物と展望台が造られていました。王宮内の全ての建物はチーク材で造られ、彫刻で施されていました。しかし、ミンドン王の住まいの建物だけは屋根から土台 の柱ぐらいに至るまで仏陀の550種の物語を表す彫刻などでびっしり飾られ、その上に金箔で貼られていました。どこからみても目立ち、黄金で輝やいていました。
 王宮の城壁は高さ8m、幅70mの堀で囲まれています。どこから見てもマンダレーヒルと堀と城壁はとても格好よく見えます。旧王宮の敷地は一辺が3キロの9平方キロあり、現在では軍の施設として利用されていますので、現在では敷地の一部分のみが改装され、見学できるようになっています。

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2010年12月 1日 (水)

【共通テーマデー】もしも私が海外の町に住むとしたら・・・

Hakubutsukanblogtemplate  ミンガラバー!
 バンコクと日本しか海外の土地に足を踏み入れたことがない私ですが、住んでみたい町をもう1ヵ所選んでくださいと言われたら、まず選ぶのはイギリスのロンドンです(ミャンマー語ではイギリスは「インガラン」、ロンドンは「ランダン」です)。
 1885年の戦争でイギリスに負けてしまって植民地になったビルマ。インドまで王族が連れていかれ、ビルマ王朝の多くの国宝もインドを経由してイギリスへ持って行かれました。戦争後、それらの一部は返還されましたが、残りはロンドンの大英博物館に展示されていると言われています(返還されたものは、ヤンゴンの国立博物館の中に展示されています)。
 私が子供の頃(1990年代頃)、2つのチャンネルしかないミャンマー国営テレビではイギリス植民地時代のドラマが途切れることなく、連続で放送されていました。当時の国民の楽しみはテレビしかなかったので、子供も大人もよく見ていたことを思い出します。

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