マンダレーの誇り~旧王宮
ミンガラバー
今日は、マンダレーが誇るコンバウン王朝の「旧王宮」をご紹介します。
ビルマ王朝の最後がコンバウン時代(1752~1886年)で、コンバウン王朝のミンドン王は1857年頃にマンダレーヒルの麓にヤダナボンの都を造営し、都の中心に王宮も造りました。この王宮を造るのに4年もかかったそうです。王宮は「Mya-nan-san-kyaw-shwe-nan-daw=エメラルドのように緑豊かで幸福な名高い・黄金の王
宮」と名付けられました。中には、王族の住まいだけでなく、お金の倉庫又は宮廷の人たち用の喫茶堂や説教堂なども含め、100棟以上の建物と展望台が造られていました。王宮内の全ての建物はチーク材で造られ、彫刻で施されていました。しかし、ミンドン王の住まいの建物だけは屋根から土台 の柱ぐらいに至るまで仏陀の550種の物語を表す彫刻などでびっしり飾られ、その上に金箔で貼られていました。どこからみても目立ち、黄金で輝やいていました。
王宮の城壁は高さ8m、幅70mの堀で囲まれています。どこから見てもマンダレーヒルと堀と城壁はとても格好よく見えます。旧王宮の敷地は一辺が3キロの9平方キロあり、現在では軍の施設として利用されていますので、現在では敷地の一部分のみが改装され、見学できるようになっています。
残念ながら、ミンドン王が亡くなられた後、ビルマはイギリスとの戦争に負けて、ティーボー王がインドへ連れ去られました。その後、王宮はイギリス軍の施設として使われ、又、
1942年頃に日本軍が入って来た時には日本軍の設備になりました。最後に、イギリス軍と日本軍の戦闘中に王宮の全てが焼失しました。何も残らずの状態でしたが、現在では当時の写真などを参考にして改装されていますので、当時の雰囲気を感じられる場所にもなり、国宝として保存されています。
PS:★毎週の土曜日にTBSの番組「知っとこ!」の「世界の朝ごはん」のコーナーが放送されています。今週末(12/4・土)にはバガンの風習や生活などが紹介されますので、朝早い番組ですが、お時間がございましたら是非ご覧くださいね。
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