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2011年1月11日 (火)

不死の古都「アマラプラ」

Ayarwadeblogtemplate  ミンガラバー!
 すっかり、お正月の気分もなくなりましたね。 
 今日は、マンダレー周辺にある古都「アマラプラ」をご紹介したいと思います。
 18世紀頃、ビルマ王朝が転々と都を移し続けた中、アマラYatkanobablogtemplateプラは2回に分かれて王都として、繁栄しました。1783年から1823年まで(40年間)と、1841年から1857年まで(16年間)です。1857年頃、ミンドン王がアマラプラから11キロぐらい離れたところに、新たにヤダナボン都を造営した時、主要な建物などを分解して、運んでいたので、アマラプラには王宮跡などは残らず、昔の王都があった場所としてしか、知られていません。

Tate3blog アマラプラはパーリ語ですが、「永遠の都=不死の都」という意味があります。マンダレ ーの南部にある町なので、「タウンミョー=南にある町」とも 呼ばれています。母なる河エーヤワディーとタウンタマン湖に挟まれているので、かつてから国民の生活は豊かであったと言われています。
 ミャンマー第2の都市「マンダレー」の付近にあるにも関わらず、昔ながらの伝統職業(機織り)を継いで、生活している人が多いようです。小さい町ですが、個人から中規模までの機織工房があります。シルクで作る布類がアマラプラの名産品です。 1blogtemplate
 アマラプラを訪れる際、観光客が必ず立ち寄るのは、僧侶たちの生活風景を身近に感じられる「マハーガンダヨン僧院」と、チークの柱で造られ、1キロにもなる「ウーペィン橋」です。次回から、華やかなマンダレーとは一味違うアマラプラのそれらの名所をご紹介したいと思います。

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