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2011年3月 1日 (火)

【共通テーマデー】両親に贈りたい旅

Buddhagayablog ミンガラバー!
今回の共通テーマは、「両親に贈りたい旅」ですが、ミャンマー人の私にとっては少し難しく感じます。ミャンマーではお金持ちの人たち以外、旅行に出かけるという人があまりいません。ミャンマー人は貯金が出来たら、宝石や家、またはアパートなどを買うのが普通です(それらは、後でお金に換えることが出来るからです)。
また、国内旅行(場所によって違いますが)に行く場合、1人で5~50万チャット(5千~5万円)ぐらいかかります。海外(隣国のタイや中国、インドなどへのバス旅行)ですと、50万~300万チャット(5~30万円)ぐらいかかります。その代金は、一般の人が1年間貯金しても貯まりません。そのため、旅行に出かけること自体、ミャンマー人にとって、とても贅沢に見えます。地方にいる親戚などに会いに行くのが、一般的なミャンマー人の旅行かもしれません。

私の父は、マンダレーの近くにある村、母はバゴーの近くにある村に生まれ、戦争中に子供時代を過ごしました。父は20代~30代ぐらいまで、マンダレーにある僧院で僧侶として生活しました。それから僧侶をやめ、仕事で行ったバゴーで母と出会い結婚しました。結婚後、ヤンゴンに移住し、父は漢方薬の薬剤師、母は家の近くにある市場で漢方薬の店を営業して、私を含め5人の子供(姉3人、兄1人と私)を育ててくれました。両親は毎日仕事で忙しく、一緒にいる時間も少なかったです。7人家族だったので、もちろん豊かな生活ではありませんでしたが、とても幸せでした。

父が、かつて僧侶だったせいか仏教に信心深く、家にいる時は私たちに仏教の教えを語ったり、夜7時になると仏壇の前で家族全員揃って5分ぐらいでも瞑想するのが、わが家の1つのルールでした。いつも、優しい父と母でしたが、自分達は学校に行くことが出来なかったため、5人の子供を必ず卒業させるという意思が強く、勉強のことだけには厳しかったです。それで、末子の私も大学を卒業し、社会人になった時には両親は70代近くになっていました。この年まで、私たちを育てることだけに精一杯だった両親は、仏教に信心深いながらも「バガン遺跡」さえ行ったことがなく、シャン州や国境付近は遠い所でした。たまにマンダレーやバゴーにいる親戚を会いに行くぐらいでした。

ミャンマーの仏教徒は「ブッダガヤ」の地に足を踏み入れることが、一生の願いです(現在では、ミャンマー国内でも、ブッダガヤのツアーが企画募集されています)。両親もブッダガヤに訪れることをこっそり夢見たかもしれません。70代近くなっていても飛行機さえ近くから見たことのない両親を憧れの飛行機に乗せて、ブッダの悟りの地「ブッダガヤ」に連れて行きたい気持ちが一杯でした。周りと友達から「ケチ」と呼ばれるほど貯金しましたが、外国に行けるまでは、なかなかできませんでした。
2005年7月7日に脳梗塞で父が倒れ、8日に亡くなりました。時とお金が合わなかったことを今でも悔やんでいます。一昨年の一時帰国した時、母親をブッダガヤまで連れて行くことが出来ませんでしたが、憧れの飛行機に乗せてバガン遺跡へ連れて行きました。今では、母親をブッダガヤに連れていくことが今の私の何よりの願いです。ただ、ミャンマーからブッダガヤへ飛行機で行くのは1人でも200~400万チャット(20~40万円)ぐらいかかります。母親はもったいないという気持ちで行かないと言うかもしれませんが、2度目の後悔が来ないように、日本で一生懸命仕事を頑張って貯金し、願いを早く叶えたいものです。

【共通テーマデー「両親に贈る旅】
〔添乗見聞録編〕
〔倶楽部ユーラシア編〕
〔ぶらり秘境探検隊編〕
〔ろまねすく通信編〕
〔船の旅便り編〕
〔パゴタの国からミンガラバー編〕

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