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2016年6月

2016年6月16日 (木)

ミャンマー初の世界遺産~ピュー古代都市群

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ミンガラバー!
一昨年(2014年)、ミャンマーのピィー(タイェーキッタヤー遺跡)、タウンドィンジー(ベイタノー遺跡)、シュエボー(ハリン遺跡)3都市が『ピュー王朝時代の古代都市群』としてユネスコの世界文化遺産になりました。

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ピュー王朝時代とはバガン王朝より古く、2~9世紀の間に栄えたピュー族の王国です。ミャンマーで初めて仏教を信仰した民族で、独自の文化や文字、言語を持ち、数百年にわたって長く流域を支配しました。インドと中国を結ぶ要の王国だったようです。
実はエーヤワディー川沿いにピュー族の都が7つも発見されています。今回その中の3都市が文化遺産になったのです。

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ピュー族は木や竹材、煉瓦の家をつくり、主に農業を営んで生活していたそうです。金属の装飾品や陶器生産に従事していた人もいました。遺跡から王宮跡や城壁、仏教の建築物、骨壷、綺麗な装飾品などが発掘されています。

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又、死者の灰や遺骨を壺に入れて保管していたことや骨壷の大きさから一つの骨壷に家族全員の遺骨を入れていたことがうかがえます。輪廻転生を信じるミャンマーの仏教は、今日では火葬後の灰や遺骨はそのまま捨てられますので、同じ仏教でも時代によって火葬後の処置の違いがあることを非常に興味深く感じます。

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ところで、タイェーキッタヤー遺跡では巨大仏塔が見どころで、大きさは人の何十倍もあります。なぜ、こんなに大きく造られたのかは未解明のままです。今でも地元の人々は毎日お祈りして、近くにある畑を耕してパゴダと共に生活しています。この時代に造られた仏塔の形がミャンマーのパゴダ建築の始まりだとも考えられているのです。

ガイドをしていた頃、ガイドの仲間たちとタイェーキッタヤー遺跡へ行ったことがあります。当時は、外国人観光客をあまり見かけませんでした。世界文化遺産に登録されたおかげで、これらの遺跡を訪れる観光客も増えてきたようです。

『ピュー王朝の古代都市群』は、人類の歴史上重要な一時代を示すものとして世界文化遺産に登録されました。本来ならばミャンマーの観光地として魅力的なバガン仏教遺跡、インレー湖などが文化遺産に..と思うのですが、やはり自然のままの手つかずの遺跡が貴重であることを私たちミャンマー人が再認識すべきだと思いました。

政治や経済の民主化と共にミャンマーのたくさんの古代遺跡が今よりも広く世界に知れ渡る日がやってきますように。

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2016年6月 1日 (水)

ヤンゴンに残るヨーロッパ

Yangon_sule_pagoda

ミンガラバー!
ミャンマーの玄関口“ヤンゴン”は私の故郷でもあり、20世紀の2度の戦争の間はイギリス植民地時代の中心都市でもありました。

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スーレーパゴダの一角にPhoto_2

イギリスによって建造された“ヤンゴン大学”は多くの卒業生を送り出し、赤レンガが特徴の病院は“ヤンゴン総合病院”として今も活動しています。

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独立(1948年)後、イギリスが建造した建物が取り壊されるなか、一部は住宅や役所、民間施設として使われ、今でも現役でその姿を留めています。

市の中心に黄金のスーレーパゴダがあり、その一角に“ヤンゴン市庁舎”があります。その正面には最高裁判所とキリスト教会があります。殆どが当時のままでイギリスの雰囲気を今でも漂わせています。

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そこから更に南の方に向かうと100年以上の歴史を持つStrand Hotelや銀行、郵便局などがあります。その向こう側にはヤンゴン川が流れているので風通しがよく、近代化されつつある市内と比べ植民地の面影を感じさせてくれます。

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当初小さな漁村だったヤンゴンは首都としての任務を終えましたが、歴史深い仏教文化の象徴であるたくさんのパゴダと植民地の面影を保ちつつ、これからも経済の中心地として誇り高く活躍していくはずです。

ダゴン~ヤンゴン~ラングーン~ヤンゴンと時代を繋いて、しぶとく生きてきたこともこの都市の魅力の一つかもしれません。

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