マンダレー

2013年11月15日 (金)

生きている大仏とクメールの銅像 [ユーラシア旅行社で行くミャンマーツアー]

ミンガラバー!
先日ミャンマー大周遊のツアーが帰国し、ツアーの写真の中にこの一枚を見つけました。Dscf5754
第二の都市マンダレーにある「マハームニパゴダ」に金箔を貼っている風景の写真です。…
来世への功徳を積むために仏像やパゴダに金箔を貼ってきたミャンマー人は今でもパゴダに行くたびに金箔を貼ります。
この大仏も金箔で体部が大きくなってきています(元々はスリムな仏像でした)。
この大仏が造られたヤカイン州はインドと国境を接する、仏教が入ってくる際に要の地域でした。…
2500年前にこの大きな仏像が造られ、その時にお釈迦様の胸元に7日間置かれたと言われています。
そのためお釈迦様の息が入った、生きている大仏だと信じられているのです。

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2010年12月14日 (火)

マンダレー~世界一の大きな本~

1blogtemplate  ミンガラバー!今日は、マンダレーにある世界一の大きな仏典をご紹介します。
 それは、マンダレーヒルの麓の近くにあるクドードォパゴダです。広い敷地の中心に黄金で輝く仏塔が建てられたパゴ ダですが、ミンドン王の仏教に対する思いが染み込んでいるパゴダでもあります。
 ミンドン王はヤダナポンの都を造営した際、仏教が栄えるIblogために、必要とされるものも考えて造りました。それは、僧侶たちが勉強できる大学や、説教場、僧院、パゴダなどです。
ブッダが亡くなられた後、経典などは時代によって、人々に よって少しずつ修正されてきたことをミンドン王は気にかけていたようです。幸いにも当時のヤダナポンで第五次仏教サミットが行われました。それを機に、ミンドン王はサミットで唱えられた経典の全てをそのまま残したいと考えました。ヤダナポンの近くの大理石の産地から大理石を切り取り、その上に経典を刻み写すつもりでした。

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2010年12月 9日 (木)

マンダレー~全てが焼失した中、ただ一つだけが残っていました~

Hizashitateblog ミンガラバー。先日、マンダレーが誇る19世紀頃のビルマ王朝の王宮をご紹介しました。
当時、王宮の中にあった全ての建物がチーク材で建てられたので、戦争中爆弾が落とされた時に全てが焼失しました。でも、幸いに一つの建物だけが残りました。それは、ミンドン王の住まいの建物だったのです。Ichiblogtemplate_4

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2010年12月 2日 (木)

マンダレーの誇り~旧王宮

Horihillhanablogtemp  ミンガラバー
 今日は、マンダレーが誇るコンバウン王朝の「旧王宮」をご紹介します。
 ビルマ王朝の最後がコンバウン時代(1752~1886年)で、コンバウン王朝のミンドン王は1857年頃にマンダレーヒルの麓にヤダナボンの都を造営し、都の中心に王宮も造りました。Gaikenpalaceblogtemplateこの王宮を造るのに4年もかかったそうです。王宮は「Mya-nan-san-kyaw-shwe-nan-daw=エメラルドのように緑豊かで幸福な名高い・黄金の王Iriguchiblog宮」と名付けられました。中には、王族の住まいだけでなく、お金の倉庫又は宮廷の人たち用の喫茶堂や説教堂なども含め、100棟以上の建物と展望台が造られていました。王宮内の全ての建物はチーク材で造られ、彫刻で施されていました。しかし、ミンドン王の住まいの建物だけは屋根から土台 の柱ぐらいに至るまで仏陀の550種の物語を表す彫刻などでびっしり飾られ、その上に金箔で貼られていました。どこからみても目立ち、黄金で輝やいていました。
 王宮の城壁は高さ8m、幅70mの堀で囲まれています。どこから見てもマンダレーヒルと堀と城壁はとても格好よく見えます。旧王宮の敷地は一辺が3キロの9平方キロあり、現在では軍の施設として利用されていますので、現在では敷地の一部分のみが改装され、見学できるようになっています。

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2010年11月30日 (火)

マンダレーの僧侶たちの托鉢風景

Obosanblogtemplate ミンガラバー!
 今日は、マンダレーの僧侶たちの独特な托鉢の様子を少しご紹介したいと思います。
 ミャンマーの僧侶の食事は朝食と昼食の1日2回です。僧侶の多くはお粥などで朝食(朝5時頃)を済ませ、僧院の掃除や僧長の世話をした後、朝の8~9時ぐらいに昼食のため托鉢に出かけます(朝食のため托鉢する僧侶もいます)。
 普段は傘(僧侶用の傘)やスリッパ(僧侶用)などで学校や外へお出かけしますが、托鉢する際には素足でなければなりません。勿論、ご飯やおかずをさし上げる方も素足です。寒い時期、暑い時期、雨期など関係なく素足です。

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2010年11月24日 (水)

マンダレーの職人区

 ミンガラバー!
Shweparkattblogtemplate  ミンドン王は新しい都を造った時、同じ職業をもつ人たちを同じ区に住むように定めました。同じ職業で生活する人たちが近くに住み、お互いに努力しあい、いい商品を造り出せるように考えたと言われています。区の名前は、刺繍で生活する人たちが住む区は「刺繍の区」、彫刻で生活する人たちが住む区は「彫刻の区」などと職業の種類で呼ばれていました。それは今日でも変りません。その他にも、「金箔の区」や「商人の区」などがあります。

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2010年11月18日 (木)

ミンドン王の伝説

Palaceblogtemplate  ミンガラバー!
 13世紀頃、バガン王朝はモンゴル人の侵攻を受け、崩壊しました。その後、ビルマ人の王朝は様々な地域に転々と移りました。1857年頃、アマラプラ王朝のミンドン王は、北の方11キロぐらい離れている所にあるマンダレーヒルの麓に都を移しました。
 ミンドン王はマンダレーヒルを見渡せる所に王宮を造りまし た。新しい都をヤダナポン(ヤダナ=宝物、ポン=集まる)と名付けました。実は、マンダレーの北の方に「モゴック」というルビーの産地があります。現在の宝石の取引の中心が旧首都ヤンゴンですが、当時はヤダナポンだったそうです。都の名前「ヤダナー」は宝石だけでなく、仏教の宝物である僧侶も含め、幸運の都という意味でもあるようです。今日では、マンダレーヒルの麓にあるので、「マンダレー」と呼ばれるようになっています。Palacehillblogtemplate
 伝説によりますと、仏陀はマンダレーヒルにいっらしゃったことがありました。山を守っていた鬼は仏陀に何かを寄付したいと思っていましたが、寄付するものが何もなかったので、自分の体の一部を切って寄付しました。仏陀は鬼に現在のマンダレー市の方向を指差し、将来は山の麓には仏教が栄える大きな都が出来るだろうと予言されたようです。仏陀の予言の通りに1857年に仏教が栄えたヤダナポンという都が出来ました。その鬼こそはミンドン王だったと伝えられています。

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2010年11月16日 (火)

古都「マンダレー」

Monkblogtemplate   ミンガラバー! 
 寒い日々が続き、冬ももうすぐですね。でも、乾期に入ったミャンマーは25~30度ぐらいの日々が続いています。
 今日からミャンマー第二の都市「マンダレー」を紹介していきます。
 マンダレー管区は7つの管区(ミャンマー行政区分を参照)の中の一つで、その首都がマンダレー市です。マンダレー市はミャンマーのほぼ中央部の乾燥地帯にあり(バガン遺跡もマンダレー管区の中にあります)、乾期(11~2月頃)は涼しい日々が多く、過ごしやすいですが、夏(3~6月頃)は40度を越え、とても暑いです。マンダレー市の人口は100万人ぐらいで、ビルマ族が多く住んでいます。中央部にある上、交通も便利な町なので、全国からの民族が多く集まり、シャン州の南部(タウンジーなど)と東部(チャイントンなど)の周辺に住む中国系の人たちも多いです。町の郊外には茶色の肌と黒い髪を持つビルマ人が多く、町の中心部に行くにつれ中国系の人を多く見かけます。中国人の商社や中華料理のレストランが多いので、ダウンタウンだけを見ると中国人の町のように見えるかもしれません。Fukeiblogtemplate
 マンダレー市は旧首都ヤンゴンの次に経済、宗教、文化が集中している古都なので、日本でいうとまるで大阪のような町でもあり、文化遺産の古都であることを考えると京都や奈良とも言えます。機織、彫刻、金箔、刺繍などの家業を継ぐ人が多く生活しています。
 ただし、第二の都市とは言え、市内の交通は車より自転車の方が多く、朝晩のラッシュアワーなどにはマラソンのように多くの自転車が走っているのも見られます。マンダレー市の交通に関する一つの面白いところは、たくさんの車やバイク、自転車などがお互いに左右を見ながら、事故を起こさないように上手に走っていることです。勿論、交通ルールや法律などがありますが、間違ってルールを破ったとしても、笑顔で交渉しながら済ませる人が多いようです。お互いにもめることや喧嘩することなく、おまわりさんもいりません。

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