アマラプラ

2011年1月25日 (火)

白い袈裟をまとうポートゥードーたち

Phoethutawtakuhatsuchubl ミンガラバー!
今日は、アマラプラのマハーガンダヨン僧院で修行している子供たちをご紹介します。
僧侶の袈裟は国によって色違いがあり、タイやラオスは黄色ですが、ミャンマーは濃い赤や茶色が一般的です。例外としKozoblogtemplate て、このマハーガンダヨン僧院には、白い袈裟をまとう子供たちがいます。
かつては、僧院などで僧侶の世話をしながら修行する人たちがいました(現在は、少なくなってきています)。彼らのことを「ポートゥードー」と呼びます。Tatephoethutawtakuhatsub「僧院に住むお爺さん」という 意味で、白い服(袈裟のようなもの)を着て、修行します(男の人だけがポートゥードーになれます)。僧侶が托鉢に出かける際、隣で寄付の品々を運んだり、寄付金を使って僧院の必要なものを買ったり(僧侶はお金を使うことが出来ませんのPhoethutawshokujichublogで)などを行います。
ポートゥードーは元々僧院に住むお爺さんという意味ですが、このマハーガンダヨン僧院には子供のポートゥードーたちが生活しています。夏休みに仏教を勉強する子もいれば、孤児でこの僧院で暮らすようになった子もいます。又、大きくなると、僧侶になりたくて、僧院の生活に慣れるために修行している子もいます。

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2011年1月20日 (木)

マハーガンダヨン僧院の食事風景

ミンガラバー!Narabihajimeblogtemplate
今日は、アマラプラにあるマハーガンダヨン僧院の僧侶たちの食事の風景をご紹介したいと思います。
Sutsukaublogtemplateこのマハーガンダヨン僧院は仏教の戒律を厳しく守り、守れる若い僧侶たちを育っていく僧院としても、有名です。全国最大級の僧院で、アマラプラやマンダレーだけでなく、全国に知られています。そのため、全国から様々な希望を持つ僧侶たちが集まってきて、修行しています。現在、修行している僧侶は1,000人近くいます。仏教の大学に通いながら一生懸命勉強している僧侶もいれRdblogtemplate ば、この僧院での勉強を重ね、地元の僧院で修行するという僧侶もいます。
毎日一斉に食事をするのが、この僧院の1つのルールでShokujifukeiblogtemplateす。僧侶たちは、毎日朝8時ぐらいに托鉢に出かけ、10時ぐらいに僧院に戻ります。10時15分ぐらいには、寮から出て、僧院の前に並び、食堂室で一斉に食事をします。食事をする時は、托鉢先の寄進者に感謝しながら食べるのもルールの1つです。

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2011年1月13日 (木)

チーク材で造られた名橋「ウーペイン橋」

Aozorablogtemplateミンガラバー!今日は、アマラプラにある「ウーペイン橋」をご紹介したいと思います。Cruiseblogtemplate
毎年雨期になると、タウンタマン湖は満水になり、交通は便だったようです。それを知った当時の市長ウーペインは、旧王都(インワ)の王宮からチーク材の柱などを運ばせ、1848年に橋を造らせました。Sayablogtemplate全体で使われたチーク 材の柱は1086本もあったと言われ、Ryoushiblogtemplate橋の長さは1.2キロ、高さは2メートルぐらいあります。この橋を造るのに3年間もかかったようです。市長ウーペインによって造られましたので、「ウーペイン橋」と呼ばれるようになりました。

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2011年1月11日 (火)

不死の古都「アマラプラ」

Ayarwadeblogtemplate  ミンガラバー!
 すっかり、お正月の気分もなくなりましたね。 
 今日は、マンダレー周辺にある古都「アマラプラ」をご紹介したいと思います。
 18世紀頃、ビルマ王朝が転々と都を移し続けた中、アマラYatkanobablogtemplateプラは2回に分かれて王都として、繁栄しました。1783年から1823年まで(40年間)と、1841年から1857年まで(16年間)です。1857年頃、ミンドン王がアマラプラから11キロぐらい離れたところに、新たにヤダナボン都を造営した時、主要な建物などを分解して、運んでいたので、アマラプラには王宮跡などは残らず、昔の王都があった場所としてしか、知られていません。

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