ヤンゴン
2014年3月20日 (木)
2013年10月17日 (木)
2012年4月 5日 (木)
ヤンゴン観光特集Ⅳ~チャウッターヂー・パゴダ
ミンガラバー!
今日は、ヤンゴン市内にある『チャウッターヂー・パゴダ』を紹介します。ヤンゴンでは一番規模の大きな寝釈迦仏像です。但し、ミャンマー国内にある寝釈迦仏像と比べると中程度の規模かもしれません。南部(モン州)には長さ200mを越える寝釈迦仏像があるからです。
このチャウッターヂー・パゴダはヤンゴンの中心部からバスで15~20分ぐらいで行けます。住 宅街の奥にあり、周囲には僧院もたくさんあります。このパゴダは他のパゴダとは違い、外見は素朴な僧院のように見えます。しかし、中に入ると長さ70m高さ17mの巨大な寝釈迦仏像が祀られています。
仏像はお休みになられている姿で、バゴーにあるシュエターリャウン寝釈迦仏像と同様に足の裏には108つの絵柄があります。足の裏の中心部に仏教宇宙観図が描かれ、その周りには仏陀の一生にわたる歴史の絵が描かれています。一つ一つの意味を考えながらその絵を観るのも面白いかもしれません。
2012年3月15日 (木)
ヤンゴン観光特集Ⅲ~シュエダゴォン・パゴダにある100年を超えた大きな菩提樹の木
ミンガラバー!
今回は、ヤンゴンのシュエダゴォン・パゴダにある大きな菩提樹の木を紹介します。
ミャンマーでは、菩提樹の木をあちらこちらでよく見かけます。菩提樹イコール仏陀だと思うミャンマー人も多いと思います。4月の満月には、菩提樹の木に水を捧げる人々やお祭りなどがあり、落ちている菩提樹の葉っぱでも踏まないという熱心な仏教徒もいるほどです。
このシュエダゴォン・パゴダにある100年を超えた大きな菩提樹の木は南端にあります。100年前、ブッダガヤーにある菩提樹の木の種を持ってきて、シュエダゴォン・パゴダの境内の中に植えたそうです。菩提樹の木の下に仏像が祀られ、周辺はとても静かですので瞑想する人やジュズを数える人たちのお気に入りの場所です。
2012年3月13日 (火)
ヤンゴン観光特集Ⅱ~シュエダゴォン・パゴダの東西南北の参道
ミンガラバー!
ヤンゴンのシュエダゴォン・パゴダには東西南北に100段を越える長い参道があります。どの参道にも花屋や仏像店そして金箔を売るお店などが立ち並んでいます。4つの参道はどれも綺麗な彫刻で飾られ、黄金に輝いているので遠いところからもよく見えます。
東西南北の参道の飾りはそれだけではありません。参道の入 り口にはお守りとして2頭のライオンが建てられています。現在ではお年寄りのためにエレベータやエスカレーターも造られています。それでも自力でパゴダにお参りに行くのが最も功徳を積むと思い、階段を上りながらお参りに行く人がたくさんいます。
2012年3月 6日 (火)
ヤンゴン観光特集Ⅰ~シュエダゴォンパゴダ
ミンガラバー!
今回はミャンマーで最も有名な仏教の聖地「シュエダゴォン・パゴダ」をご紹介したいと思います。
伝説によりますと、シュエダゴォン・パゴダの由来はとても古く2500年前まで遡ります。当時、今のヤンゴンは「ウカラパ」という小さな村でした。ウカラパ村に住むタポゥタとパッリカという2人の兄弟は商売のためインドに出張した時、仏陀と出会ったそうです。仏陀の教えを信じ、信仰するようになった兄弟は仏教徒になりました。帰国後も仏教を信仰し続けるために何か頂けないかと仏陀にお尋ねしたところ、仏陀は髪8本を渡したと伝えられています。
2012年2月 7日 (火)
ヤンゴン
ミンガラバー!
今回からヤンゴン(旧首都)を少しずつ紹介していきたいと思います。
イギリス植民地時代から現在までミャンマーの玄関口として知られるヤンゴン!ミャンマーを訪問する時は必ず立ち寄る町です。現地の若者たちの憧れの町で、“ヤンゴンで働きたい”、“ヤンゴンで勉強して就職したい”という人も多く、まさに日本の東京のようなイメージです。様々な地域から来た少数民族やミャンマー人、そして中国系やインド系の人も多く、昔と比べヤンゴンの人口は増える一方です。
インド街や中華街が町の中心部を占め、朝から晩まで賑わっています(郊外は殆ど静かですが)。そのような市内ですが、赤レンガの建物や郵便局、ホテルなどイギリス植民地を思わせる雰囲気と現代的なものが交じり合い、とても活気あふれています。その中にさらに歴史深いパゴダや遺跡が加わり、様々な時代が混ざりあった独自の風景となっています。
2011年2月 8日 (火)
2010年3月18日 (木)
私が生まれたヤンゴン(旧首都)のあれこれ !
ミンガラバー!今日は私が生まれた町“ヤンゴン”を紹介します。ヤンゴンは歴史の主役の町で経済、文化、宗教などの集着地でもあります。日本で上京して夢を実現させたい人がいるかのように、ミャンマーでも地方からヤンゴンに行って夢を実現させたい人は少なくありません。現在のヤンゴンは旧首都としてもっと誇り高く、人々の注目を受けているのではないかと思います。
歴史によると、2500年前は“ダゴン”という名前でしたが、18世紀頃にミャンマーを統一した王は敵がいなくなって、戦いが終わるという意味で“ヤンゴン”と名付けたようです。19世紀頃、イギリス植民地になった時、イギリス人は港町であるヤンゴンをミャンマーの首都にし、外国からの船などの行き来を許し、発展させました。当時のヤンゴンの名前も“ラングーン”に変わり、市の図形も新たに設計されました。2000年前からのスーレーパゴダを市の中心にし、道路を碁盤の目のように設計したので、ヤンゴン川からの風通しがよかったのではないかとの言われもありました。当時、市にある全ての道路の名前は英語でした。現在は市名もヤンゴンに戻り、道路の名前も全部ミャンマー語(英語と同じ意味)に変えられました。
ヤンゴンは首都だった時、市内にあるコロニアル風の建物の殆どは役所として使われました。私もガイドになる前は、特に何も感じることなく、見ることなく当たり前のように行ったり来たりしていましたが、ガイドになってお客様を案内する時に植民地時代を思い出し、少し悲しくなるような感じがする時もありました。
この町の 私のおすすめ場所はヤンゴン川です。普段観光客はあまり行く事がないところだが、行ってみる価値はあると思います。観光地には見られない生の市民の生活風景が見られるところでもあります。私は時々ヤンゴン川の方に行って、渡し船で行き来している人たちや渡し船に乗りっぱなしで物を売る人々、荷物を運んでいる人々、向こう側にある市からの物品を運んでヤンゴンで商売する人々、見ているのは面白くて、全然飽きません。
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